『暴走する資本主義』 ロバート・B・ライシュ

 難しい本。ここに書かれていることを理解するのが難しいのではない。書いてる内容を理解するのは問題ないのだが、それについて書かれている処方箋が果たして正しいのかどうか、その判断が(自分の能力では)できない。難しい。

4492443517暴走する資本主義
ロバート・B・ライシュ (訳)雨宮 寛 今井 章子
東洋経済新報社 2008-06-13



 原題はSupercapitalism。超資本主義。現代の資本主義が先鋭化しすぎて民主主義が機能しなくなってきているということを説き、なぜそうなったのかを解説している。で、どうすれば民主主義を取り戻し、よりよい世の中にできるのかということで結んでいる。

 基本的にアメリカにおけること、すなわちアメリカ型資本主義について書いているため、ヨーロッパや日本の資本主義とは若干異なる。しかしアメリカ型を追随してそれに近寄っていっている(いた)日本や欧州先進国にとって他人事ではないことは明白。また、この本は2007年にアメリカで刊行され、日本版は昨年2008年の6月に出版。昨年10月の株価暴落前の本なのでCrushの件とは関係ないのだが「「暴走」した結果のCrushだったのか」とも読めてしまえるので、結果的に良いタイミングで読めたようだ(2/24読了)。

 本の内容はだいたいこんな感じ。




目次
序 パラドックス
第1章 「黄金時代」のようなもの
第2章 超資本主義への道
第3章 我々の中にある二面性
第4章 飲み込まれる民主主義
第5章 民主主義とCSR
第6章 超資本主義への処方箋

(ここから超要約)

 「第1章 「黄金時代」のようなもの」で1945~1975にアメリカが資本主義と民主主義の両立を達成。それはまるで「黄金時代」のようなものだとしている。ただし、少数民族や女性にとっては必ずしも良い時代ではなかったということで「のようなもの」としている。巨大企業が寡占することにより利益を確実なものとして無用な競争がなかった時代。そのために独占企業は労働組合の意見を聞き入れ、給料を高く保ち、豊かな中流家庭を数多く作り出した。

 「第2章 超資本主義への道」では1970年代より冷戦の生み出した技術の発達により旧来の大量生産を破壊し、世界的な競争の激しい時代に入り、その競争は現代までどんどん激しくなっている。それは顧客と投資家より求められるているもの。

 「第3章 我々の中にある二面性」では第2章の問題は誰が起こしているのかを解き明かす。実はそれは我々自身だということ。消費者や投資家としての私たちは有利な取引を望むが、市民としての私たちはその結果もたらされる社会的悪影響を懸念する。その結果民主主義が資本主義に駆逐されてしまっているとしている。

 「第4章 飲み込まれる民主主義」では民主主義が資本主義に駆逐される理由を明らかにしている。例えば株主や顧客である私たちはその企業に対して不満の表明の仕方を知っている。株を売ってしまい、その製品を購入しなければ良い。しかし市民としての私の自己表現はきわめて限られたものだ。企業がロビイストや献金を通じて自社に都合の良い法律を制定しており民主主義は駆逐されている。

 「第5章 民主主義とCSR」ではCSRは企業の善行ではなく企業価値を高めるものに過ぎないとしている。企業は利益を上げることが目的である以上、企業に社会的責任をを求めるのはそもそも間違っている。

 「第6章 超資本主義への処方箋」ではどうすれば民主主義を取り戻せるかを述べている。法人税を撤廃し、企業が擬似的に人(自然人)であるかのように振舞うこと、つまり民主主義の主体となることを防ぐべきだとする。

(超要約ここまで)


 1章から4章まではとてもよく理解できた。例示も多く(ただし偏っているが)わかりやすい。普通に「なるほど」と思うことがたくさんあった。問題は5章と6章。CSRをここまで完全に無用のものとして割り切るには疑問が残った。善行により企業価値が上がるのは事実だとしても、それで多くの人が助かるのであればOKではないのだろうか。そもそもそんなに儲けたお金があること自体が悪だというのだろうか。しかし著者はそうは述べていない。資本主義である以上、企業が儲けようとすることは当然のことだとしている。またオーナー企業であれば個人的な感情で寄付がなされることもあるだろうし、ビル・ゲイツやバフェットが多額の寄付を行うことも有名だ(もちろん使われ方次第でもあるが)。

 法人税撤廃については実際にやるとしても実行までにどれだけ時間がかかるのか見当もつかない。まず実現不可能だろう。ましてや本当にそれで「民主主義」が取り戻せるのかもわからない。やるとしても『アダム・スミス』にあったように変革は漸進的に実行していかなければ摩擦、混乱は避けられないと思われ、だとすれば一体いつになることやら、という類の話だ。

 ここまで読んできて思ったのが「アメリカ的な資本主義」の恐ろしさ。直感的にここで読んだものは日本的な資本主義とは随分違う気がした。この本で象徴的に描かれているウォルマートが日本で成功できていないからそう思うのではなく、この本で起きているようなできことが日本で起きているとは実感できないからかもしれない。ひょっとすると地方へ行けば実感できるのかもしれないが、少なくとも東京にいる限りは実感がない。もしくは日本の企業にまんまとだまされているだけなのだろうか。自分の視野が狭いだけなのだろうか。

 ところで現在は日本の政治にはとんでもなく期待できないような状況ではあるけれど、それは超資本主義とは関係のないまた別の問題なのだろう。
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by vamos_tokyo11 | 2009-03-18 23:42 |


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