『もう牛を食べても安心か』 福岡伸一

平成16年12月の本だからもう5年も前の本。

4166604163もう牛を食べても安心か (文春新書)
文藝春秋 2004-12



 『生物と無生物のあいだ』で有名な福岡伸一氏の本。昨年は日経の夕刊1面にコラムを持っていたり、土曜か日曜の夜のワイドショーにコメンテーターとして出てたこともあり、いまや超有名人になった人の本。

 『生物と無生物のあいだ』も相当面白かったが、この本も面白かった。やっぱりこの人文章がべらぼうにうまいのだ。藤原正彦氏もそうなのだが、理系の人間がこれだけ文学的な文章を書けると「ずるい」という感じになる。

 閑話休題。この本は題名の通り、狂牛病が蔓延したのち、米国産牛の全頭検査で輸入を再開するというときに、果たしてそれで安全は担保されるのかというポイントから、狂牛病とは何であるのか、イギリスで発症したのちどのようにして世界へ広がっていったのかといったことを説明し、人間が冒している行為の意味を生物学的見解から解説している。とてもとても興味深く、恐ろしく読んだ。もっとも衝撃的であったのが、やはり狂牛病がなぜ牛に発症したか、そしてそれがどうしてイギリスから世界へ広がっていったのかということを解説しているところだ。




 人間もそうなのだが、牛も生後すぐの時期には体内の免疫能力が低いため、非常にウイルスに弱い状態に置かれる。「脆弱性の窓が開いた状態」に置かれる。その状態では母乳を飲むことで母親からウイルスの抗体を取り込み多くの免疫を身につけることができる。これはヒトに限らず牛も同じであるらしい。その、脆弱性の窓が開いている状態で、イギリスの子牛たちはスタータと呼ばれる肉骨粉を混ぜた液体を飲まされていたという。肉骨粉はレンダリング業者(牛の余った骨や死亡した牛を粉々にして乾燥させるらしい)が作ったいわゆる牛エキスのようなもので、たんぱく質としてこれを供給される。つまり共食いさせられるわけだが、レンダリングの過程で狂牛病の牛の骨や死骸も混ざっているため、それが脆弱性の窓が開いている子牛に投与され、感染してしまうという流れだそうだ。

 知らずに共食いになっている話も恐ろしいし、肉骨粉の中に狂牛病に感染した牛の骨・内臓その他が含まれていることも恐ろしいが、何よりも恐ろしいのは、イギリスで感染の原因が肉骨粉だとわかった後に、イギリス政府が国内での流通を禁止にしつつも欧州域内にそれを輸出し、フランスをはじめとした国々に病気を輸出していたという事実だ。大陸各国が肉骨粉の輸入を禁止したのち、イギリスの業者はそれをアジアやアメリカへ輸出し始め、イギリス当局もこれを禁止にしなかったという。憤りを感じずにいられないし、これは立派な犯罪だろう。そしてそれが原因で日本、アメリカで狂牛病を発症したことは記憶にあるとおりだ。

 まぁ、そんなこんなでショッキングな話がてんこ盛りのこの本だがこれだけにとどまらない。『生物と無生物のあいだ』にもあった動的平衡の話が出てきて、復習しているようだったし、シェーンハイマーの話も詳しく書かれていて面白かった。

 さて、他にも興味深いところがいくつかあったのでメモしておく。


 p98 実質的同等性という概念に反対
 遺伝子組み換え作物が人間にとって安全かどうか。直接口にすることはないものだが、我々が口にしている元となる家畜の飼料になっていることは十分に考えられるし、これから世界の人口が増えていく中で、食料の問題はもっと切迫してものになっていくはずで、この問題は非常に深刻だ。まぁ何も遺伝子組み換え作物に限らない。薬やサプリメントで補っているものはこれらすべてこの話にあてはまると思った。この言葉は数多くの実験と、その結果から導き出されており、非常に説得力があり、食の安全には非常に敏感にならざるを得ないと感じた。

 p101 遠いところのものを食べよ
 この言葉自体は知らなかったが、これもクールー病になる原住民のカンニバリズムの話や人間が牛に強制するカンニバリズム(狂牛病)を考えるとなるほどと思ったし、生物学的に合理性があるようだ。これを経て次の言葉がある。

 p103 臓器移植は究極のカンニバリズム
 食べて消化して分子レベルでとりこむのではなく別の人間の肉体の一部をそのままとりこむことは究極のカンニバリズムであると著者は述べている。臓器移植の際に起こる拒否反応は受け入れた臓器の持つ情報と自分の身体を構成する情報との激しいせめぎ合いである。自己のものではなく他者のものであることの悲鳴だという。これを抑えるために免疫抑制剤を使用するわけだが、今度は感染症を恐れなければならない。だから著者はこれを引き受けるだけの勇気はないという。

 なるほど、移植が恐ろしいということはよくわかるのだが、著者がここまで言えるのは。それは著者が移植を必要としない健康体であるからに他ならないからであろう。自分も健康体なので移植のことはリアリティがないが、『中国臓器市場』を読んだときの感想からすると、まさにそうなってみないとわからないし、黙って死を待つこともそれはそれで恐ろしいことだ。


遺伝子組み換えの恐ろしさのまとめ

 遺伝子組み換えは品種改良が時間をかけてやってきたことを短期間でやっているにすぎないという言い分に対する回答。少し長いが引用。

p112 
 品種改良は、そのまどろっこしさゆえに時間による試練と選抜を潜り抜けているのだ。優れた品種を掛け合わせても、意図したような相乗効果がただちにもたらされないのは、生命系の持つ様々な要素の相互作用と平衡の落ち着き先が、そのような場所、つまり人類にとって都合のよいだけの場所には成立しないということを示しているのである。


p121 アレルギーの引き金
 これも恐ろしい話。

 赤ちゃんに対して離乳食を早めに与えすぎると、脆弱性の窓がまだ完全に締め切られないうちに外来タンパク質がやってきて、十分に消化されないまま体内に取り込まれてしまう可能性がある。このように消化をまぬがれて体内に入ってきた植物タンパク質分子が免疫系によって異物として認識されることが、植物アレルギーやアトピーの引き金を引くのではないかという。
 

p124~
 動的平衡が立証されると、哲学の話によく出てくる自己同一性の話と重なってくる。それは自分はどうやって自分であることを証明するかというあれだ。分子レベルで日々体内のものが入れ替わっているということは数か月前の自分と現在の自分は分子レベルで全く別のものになっているので、自分であることの証明ができないという理屈だ。この話は記憶保持のメカニズムに移っていくので、この哲学的な話は深堀されないのだが、自分的にはここに引っかかりを感じた。生物学とは別のアプローチで見つめなおさないと、ますます混乱しそうだ。

p140 記憶とは信号のパターンである
 記憶のメカニズムを説明した後、その土台になる神経細胞が分子レベルで入れ替り、少し形が違うピースが入り込んだりすることを長い時間繰り返すと大きな変化ではないにしろ、記憶が変わってくるのは驚くに当たらないとしている。子どもの頃に育った街を大人になってから再訪すると記憶していたものと大きく違っていたりするのは記憶の分子基盤の変容そのものであるとしている。

 これを読んで驚きと同時にホッとした。ただ、どんどん記憶力が悪くなることの説明ではないので、そこんところは勘違いしてはいけないところではあるのだが(笑)。


 最後の方は狂牛病自体のメカニズムの記述があり、おそらくこれがこの本の題名に最も合致した内容だ。狂牛病のメカニズムは完全に解明されていないというのを初めて知った。(これを読んだ後に元旦の新聞に未来の予想として、201x年に狂牛病の解明というのがあった)。

 それ自体の説明も面白いが、学界における競争のようなドロドロした部分の記述があって、知らない世界だけにその辺りも興味深かった。
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by vamos_tokyo11 | 2010-02-04 22:58 |


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