『サッカーという名の戦争』 平田竹男

 日本代表のマッチメイクをしていた人の本

4103138319サッカーという名の戦争―日本代表、外交交渉の裏舞台
新潮社 2009-03



 これはおもしろかった。著者略歴を見ただけでもおもしろそうだもの。
1960年、大阪府生まれ。1982年横浜国立大学経営学部卒。同年通商産業省(現経済産業省)入省。1988年ハーバード大学ケネディスクール卒(行政学修士)。1989年から91年まで産業政策局サービス産業室室長補佐。1991年から94年まで外務省へ出向し、在ブラジル日本大使館一等書記官。帰国後はエネルギー政策などを担当し、中東やカスピ海諸国との交渉にあたる。2002年に資源エネルギー庁石油天然ガス課長を最後に経済産業省を退官し、2002年から2006年まで、(財)日本サッカー協会専務理事。現在は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授。東京大学工学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 JFA専務理事になる経緯もおもしろかったし、通産省の人なのに外務省に出向してブラジル行って中央アジアに行って、日本のためにみたいな感じでサッカー協会にかかわることになったという、それだけでもおもしろくないわけがない。

 2002年から2006年までの代表を熱心にフォローしてた人にとっては懐かしくて、あのときの裏側にはこんなことがあったのか非常に楽しく読める。改めてワクワクさせてくれる本だ。

 自分的に一番面白かったのは、2004年アテネ五輪の最終予選の話。あのときはアブダビと東京(+埼玉)のダブルセントラル方式で最終予選の6試合を戦ったのだが、予選の方式はAFCではなく最終予選の4カか国の話し合いで決めるルールになっていたというのがまず驚き。そして、中東3カ国に対するハードネゴシエーションのやり取りがリアルで(って本人が書いてるんだから当然なのだが)面白い。アブダビまで応援に行った身としては、あの厳しい予選を勝ち抜いた裏にはこういう話があったのかと思うと感慨深かった。

 他にも数々のマッチメイク秘話があり、思えばジーコ監督時代は相手に一流国が多くて(アルゼンチンなんか何回やっただろうか)、これも平田さんの功績が大きかったんだろうと思わずにいられない。もちろん監督がジーコだったというのも大きいだろうが、それに比べて今のマッチメイクの貧弱さといったら。。。
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by vamos_tokyo11 | 2010-03-16 22:27 |


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