『誰も戦争を教えてくれなかった』 古市憲寿

 こちらは戦争について考えてみる本。世代は私より一回りくらい下だが、気にしている点は同じだ。結論は違うけど。

4062184575誰も戦争を教えてくれなかった
古市 憲寿
講談社 2013-08-07



 この本では僕のように戦争の体験談を身内の人から教えてもらっていないような立ち位置の著者(社会学者)が、世界中の戦争博物館を巡っていろいろ考えるお話。雑誌に連載してたものをまとめたもので、モモクロとの対談があったり、巻末には「戦争博物館ミシュラン」と称して世界中の戦争博物館のランク付けをしている。面白い。「誰も教えてくれなかった」については「誰も教えることができなかった」ということ。そう、実体験してる人もほとんどいない、さらにはあの戦争がどういう意味を持っていたのか誰にもわからないから教えようがなかったのだ、というのがタイトルへの答えになる。

 書き口は非常に軽い。人のブログかFacebookを読んでいるような感じで、さらに脚注がたまにふざけてて、最初はなんだかなぁという感じもする。脚注に「台湾にショウロンポウ食べに行きたい。誰か行かない」とあったりして、全部読む派の自分にはイラっとすることもあった。が、それも序章だけで、本編が始まると基本的には膨大な参考資料や引用元が脚注に書かれていて、これはこれで非常に親切なつくりになっている。気になる本多数。

 この本で面白いのは、アメリカ、ドイツ、中国、韓国、そして日本の戦争博物館から、その国がどのようなスタンスで過去・現在の戦争や過去の事実と向き合っているかということを読み解く作業だ。勝利を前面に出し、今も戦争がすぐ近くにあるアメリカ、ホロコーストと向き合い続けるドイツ、日本の残虐行為を明らかにしつつ、それを寛容的に許している姿勢を見せ立派な共産党をアピールする中国、戦いの歴史を展示し、今も戦争の状態にあり、兵士のおかげで今があり、徴兵制もある韓国。それぞれのスタンスが透ける。そして、国としての態度があいまいなまま、明確な主張ができずにいる博物館が各地にある日本。この分析が非常に面白かった。

 博物館から国の姿勢をあぶりだす、つまり著者の言う「大きな記憶」。これとは別に、民間で勝手連的にそれぞれが事実を展示し、主張するミニ博物館も日本にはいくつかあるということも書かれている。これを「小さな記憶」と書いている。他にも博物館のありかたに対する苦言も面白い。日本の博物館はこんなもんでは楽しくないし、来たいと思わないだろうという。ドイツでは本物を残すことでリアリティを感じてもらう展示方法、中国や韓国では最先端技術を駆使して、戦場での戦闘や敵兵への攻撃を「体感」できるエンタメ的方法などと比べると、日本の展示は生ぬるく感じてしまうらしい。


 結論の前段はおもしろい。

 p269
 東京裁判、歴代首相の「お詫び」、(中略)対外的な物語はおおよそ確定している。日本は侵略戦争をして、アジア諸国に多大な迷惑を掛けたという「大きな記憶だ」。
 しかし、それは一定程度は国民的な「大きな記憶」になっているが、それに反するような言動や行動を、公人である政治家たちさえもしばしば自ら行う。
 これこそが、日本の国立歴史民族博物館で戦争を描けない理由だ。いったい、どっちなのって話である。
 そして「大きな記憶」が確定していないから、歴史認識をめぐる事件が延々と生まれ続ける。2013年春に起きた大阪の橋下徹市長の「慰安婦は必要だった」発言は、まさにその象徴だろう。この橋下騒動は、強制力なしに、人々の発言や行動を一つの歴史に確定させるのが、いかに難しいかをあらためて確認させることにもなった。


 完全に同意だ。ドイツですら国が教育を進めていて、コストも掛けているにもかかわらず、ネオナチが出てくる。中国や韓国でも「反日」という「大きな記憶」の構築を企ててきたが、これだけ文化交流が進む中で、素朴な反日感情を抱くほうが逆に至難の業だとしている。これもわかる。

 さらに、あの戦争は空前絶後の一度きりの出来事で、同種の戦争を日本は経験していないから、あの戦争をいかに記憶するかということに正解はない、としている。まぁ、そうかもしれないが、これはついてはちょっと乱暴かと思う。記憶はうつろいやすく定まらないものというのはその通りだと思う。だからこそ、常に時代に沿って記憶について自分たちで考えておく必要があるのではないだろうか。自分なりの「大きな記憶」、つまりあの時代への解釈を持つことをやめてしまうのは違うのでないかと思う。ここのところ自分の読む本が戦争関連に向かっているのはそういう問題意識なのかもしれない。著者が最終的に「いっそ戦争なんて知らないほうがいい」というのは間違っていると思う。

 不思議なのは著者は自分でとことん調べて・聴いて・見て・読んで、知識を蓄えてきているにも関わらず、そういう結論に到達していくことだ。モモクロが戦争に対する小学生・中学生レベルの問いに全然答えられないことを肯定しているのは、やはりなんか違うと感じる。この人、将来子どもができても「戦争のことなんか知らなくていいよ」と言うのだろうか。僕にはデール・マハリッジが訴えるものの方がズドンときた。


以下は脚注から気になった本など。
いかん、また戦争関連本だらけだ・・・。
よくよく考えたら自分の気になっていたところにこの本がぴったりハマってるんだな。

p43 一ノ瀬俊也『旅順と南京日中五十年戦争の期限』
p77 姜尚中、森達也『戦争の世紀を超えて その場所で語られる戦争の記憶がある』
   アウシュビッツを訪れるのは「(決して認めたくない領域ではあるけれど)微かにうきうき」
   → 怖いもの見たさ、お化け屋敷的なものは否定できない。
p82 イタリアは戦勝国? →これは知らなかったし驚いた。
 イタリアは連合国に対しては確かに「敗戦国」と言えるのだが、1943年10月にはドイツに宣戦布告、1945年7月には日本に対しても宣戦布告を行っている。
 日本とは実際には交戦しておらず、サンフランシスコ講和条約にも参加していないが、日本政府とは個別に協議を行っている。つまり、対ドイツ、対日本においてイタリアは「戦勝国」とも言えるのだ。

脚注
 第二次世界大戦では、フィンランドやハンガリーなど合わせて5カ国が連合軍に対して講和条約を結んでいる。連合軍に対する戦争という意味ではフィンランド、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーも「敗戦国」と言える。

p103 西澤泰彦『植民地建築紀行 満州・朝鮮・台湾を歩く』『日本の植民地建築 帝国に築かれたネットワーク』
p182 小熊英二『<日本人>の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』
p187 301 クリントンスピーチ 「The Ryukyu-Okinawa History and Culture Website」ややこしいことは普遍化させてしまうのが一番
http://www.niraikanai.wwma.net/pages/archive/itoman.html
p211 348 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』
p226 パオロ・マッツァーリ『怒る!日本文化論 よその子供とよその大人の叱り方』
p249 石川明人『戦争は人間的な営みである 戦争文化試論』
p250 萱野稔人『カネと暴力の系譜学』 国家は暴力団と同じ仕組みで人々の安全を保障する。そうそう。
p254 P・W・シンガー(小林由香利訳)『ロボット兵士の戦争』
p257 土屋大洋『サイバー・テロ 日米VS.中国』


巻末の戦争博物館ミシュランの中で行ってみたいと思ったところ。

・アウシュビッツ博物館(ポーランド)
・ザクセンハウゼン記念館・博物館(ドイツ)
・アリゾナ・メモリアル(ハワイ)
・戦艦ミズーリ記念館(ハワイ)
・遊就館(九段下)
・東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂)
・記念艦「三笠」(横須賀中央駅)
・舞鶴引揚記念艦(舞鶴)
・広島平和記念資料館・原爆ドーム(広島)  小学生以来行っていないのでまた行きたい
・呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(呉)
・知覧特攻平和会館(鹿児島)
・沖縄平和記念資料館
・ひめゆり平和記念資料館
・旧海軍司令部壕(沖縄)
・ヨーロッパ・ユダヤ人犠牲者記念館(フランデンブルグ門近く)
・ベルリン・ユダヤ博物館
・侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京)
・シロソ砦(シンガポール)
・戦争記念館(ソウル)
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 01:46 |


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