『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』 池上彰

4166608142池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)
池上 彰
文藝春秋 2011-07



 宗教の入門として幅広く扱っていて分かりやすかった。第1章では総論として宗教というフィルターを通して現代社会を眺める(割と紙幅を使っている)。第2章では島田裕巳との対談「ほんとうに『葬式はいらない』のですか?」。第3章以降は仏教(浄土真宗、臨済宗)、キリスト教、神道、イスラム教、最後に養老孟司との対談で宗教そのもののや日本的な宗教観が語られていて興味深かった(「『いい死に方』ってなんですか?」)。

 正直、各宗教の説明や現在の各宗派の問題点はあまり面白くないというか、どうでもいいというか、そんな感じ。それでも神道の話は結構面白かった。そもそも神道ってなんだろうと思っていたのだが、やっぱりそうかという感じで、ちっとも宗教ぽくないのだ。単に日本的な文化にお作法というかルールを設けただけのような感じで、非常にゆるゆるな感じが想像通りだった。

 そういう中でもへぇーっと思わせてくれたのをいくつか。

p81 「家の宗教」化する創価学会
 戦後、過激なやり方で折伏(しゃくぶく)してきたが、今は親から受け継いだ2世3世で完全に家の宗教となっているとのこと。新しく折伏される人はほとんどいない。勧誘されるのは赤ん坊で、もはやキリスト教の洗礼と同じ。だから人間関係のネットワークは緊密だが、外へ広がっていかない。選挙のときだけは活動するけれど、隣人を折伏するというのはないらしい。
 →実態は不明

p84 真如苑
 日産の武蔵村山工場の跡地を買ったり
 →真如苑というのを知らなかったが、派手なようだ。

p88 江戸時代に信仰形態が戻っている
 戦後の貧困や病気の頃には宗教に解決を求めていたが、現代は宗教に期待する人があまりいない。そうなるとパワースポット的なものに人気があつまる。
 日本は超成熟社会だからこの状況が二百、三百年くらい続くと思う。失われた二十年って実は超成熟期の始まりですよ。
 →面白い考え方だけどにわかには賛同しかねるなぁ。

p187 キリスト教の本質
 キリスト教のメッセージは「愛」だと言われるが、イエスの言う愛とは「悲しみを知ること」に限りなく近いのではないか。(山形孝夫)

P241~ 養老孟司対談が面白い
・(日本人の)無宗教の「無」は仏教の「無」(諸行無常の無)
・日本にきて一番良かったことのひとつは宗教からの自由だ(CWニコル)~日本は宗教に寛容
・団塊の世代の「葬式が要らない」は「大学の権威を解体する」と同じ。彼らは理屈で説明がつかないことはなんでも嫌いなんです。考え方そのものが「意識中心主義」。脳のことを調べればわかるけれど、意識なんて人間のほんの一部ですから、こんなあてにならないものはない。その程度のものが世界の中心を占めるというのは、やっぱり一種の偏見、錯覚。自然は人間の意識ではコントロールできない。死も自然現象のひとつだからコントロールできるはずがない。
・日常生活に死は”あってはならないもの”になっている。でもそれは異常。
・一神教は都市の宗教。自然から切り離され、人間しかいない人工世界ですから、死生観だって人間中心になる。日本は世界から見れば「田舎」に属していて、一神教が布教しなかった。私はそっちの考え方の方が、おおらかで好きですけれど。
・「唯一客観的な現実」が存在するという信仰。NHKが自称する「客観報道」なんて、完全な宗教。「環境を守ることが絶対の正義だ」とかいうのも、一種の原理主義。
・自分の目や耳で確認したことを信じる、というなら健全。でも既存メディアの情報は嘘で、ネットの情報は真実、という二分法なら、同じ穴のムジナ。
・一神教的な「一生涯を通じて変わらない私」があって、その行いを裁く「最後の審判」があるといった考え方は、われわれ日本人にはちょっと馴染まないんじゃないでしょうか
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:02 |


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