カテゴリ:2006 旧ユーゴ( 15 )

クロアチア~BIH~セルビアの旅 (2006年秋)

 2006年に旅をした記事のまとめ。

 気付いたらもう1年半も前のことです。その間、独立について揉めていたコソボがついに独立宣言をしており、バルカン半島は未だ安定しているとは言えないようだ。


 序 出発前の準備
   出発前の準備や地域の歴史を知るための本などを紹介。

 10/16(月) Zagreb(ザグレブ)へ
   ウイーン乗換えでザグレブへ。1日目の移動の模様。

 10/17(火) Zagreb(ザグレブ)観光 その1
   秋晴れの中ザグレブ市内を観光。主要な観光スポットを散策。

 10/17(火) Zagreb(ザグレブ)観光 その2
   ザグレブ観光後半。

 10/18(水)Split(スプリット)観光 その1
   ザグレブからスプリットへ移動。スプリット観光

 10/18(水)Split(スプリット)観光 その2
   昼から夜にかけてのスプリットは美しい。地中海と夕日の写真。

 10/19(木)Split→Trogir(トロギール)観光 その1
   スプリット滞在2日目。トロギールへ日帰り観光。
   2008/3現在、あのラパイッチがトロギールのクラブ(2部)に加入したそうだ。

 10/19(木)Split→Trogir(トロギール)観光 その2
   トロギールの街中とスプリットでの食事。夜にはドブロクニクへ移動。

 10/20(金)Dubrovnik(ドブロヴニク)観光 その1
   ドブロブニクの街の紹介と観光。

 10/20(金) Dubrovnik(ドブロヴニク)観光 その2
   ドブロブニク城壁廻り。

 10/21(土) Mostar(モスタル) その1
   国境をバスで越える。クロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへ。

 10/21(土) Mostar(モスタル) その2
   スタリ・モストへ。内戦の後が生々しいモスタル。

 10/22(日) Sarajevo(サラエボ) その1
   モスタルからサラエボへ移動。

 10/22(日) Sarajevo(サラエボ) その2
   サラエボ初日。雨あがりのサラエボ。

 とりあえずここまで。

 サラエボの途中で旅が止まっているが、そのうち残りをブログエントリをするつもりなのでとりあえずエントリ。残りはサラエボの2日目、3日目、ベオグラード1日目、ベオグラード2日目(ノビ・サド日帰り旅行)、の予定。旅の途中で記した日記があるにはあるが、どこまで書けるか微妙な状況(苦笑)。最低限、旅の思い出と、見たモノを載せておきたい。
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by vamos_tokyo11 | 2008-03-19 18:23 | 2006 旧ユーゴ

10/22(日) Sarajevo(サラエボ) その2

 トラムで旧市街の中心地へ到着し、そこから約150mほど坂を上ったところがSarajevoでの宿、Halvat。ここは「地球の歩き方」に載っていた宿で、直接予約したところなのですが、このGuest Houseが大当たり!これまでの小さなHotelやSobeと比べてとても快適。Guest Houseというものがどんなものか良く分からなかったが、部屋数の少ない、家族経営のHotelという感じでした。。朝食も腹いっぱいになるし、おいしいフルーツも付いている。さらには部屋も広くて快適。ベッドの他に机とイスがあったりして、まるで自分の部屋のように快適でした。

 Halvat Guest House
 ※07/2/2現在、のこのページの写真の部屋がまさに僕らが泊まった部屋です。

 SarajevoのHotel事情は良くないと、どこか(「地球の歩き方」だったかな。。)で読んだが、ここはホスピタリティも十二分で大満足できます。超オススメです。こんなダルメシアンが迎えてくれます。
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 ちなみにダルメシアンは、元々はクロアチアのダルマチア地方の犬だそうだから、地元の犬、日本で言えば東京の人間が柴犬や秋田犬を飼う様なものかもしれません。


 14:00頃、荷物を置いて早速街へ出かけました。

 まずはSarajevoの旧市街の中心地Bascarsija(バシチャルシア)へ。ここは旧市街の中心にある職人街で、Sarajevoの中心地と言っていいところです。

 なんともオリエンタルな風景!
 もうここはヨーロッパとは思えない景色が広がります。
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 左に見えるの尖塔はモスク、右手の真ん中にあるのが水飲み場(セビリSebilj)。

 この写真のセビリの奥にみやげ物屋があって、BiHジャージを妻に買いました。雰囲気に負けましたね(笑)。黄色に青字で背中に国名が書いてあるだけのジャージで、いつ着るんだ、という代物(色合いはSweden代表に似てます)。50KMを40KMに負けてもらったが、みやげ物屋価格。約3,200円也。

 おなかが空いたので、ケバブチチとボスニアコーヒーを頂きました。ケバブチチ5KM×2、ボスニアコーヒー1KM、ミントティー1KM。ケバブチチ、うまい!それにしても飲み物の値段の安いこと。一杯約80円。物価の安さは嬉しい限りで、これなら何度でもcafeに入れます。
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 ボスニアコーヒーは粉が沈殿しているので最後まで飲み干してはいけません、上澄みをすする感じです。おいしいですよ!

 こちらはバシチャルシアの石畳が続く通り。見ての通り普通にムスリムの人たちが行き交っています。
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 さらに歩いていくと、礼拝に来ていた人々がモスクから出てきていました。イスラムの休日は金曜日だと思っていましたが、日曜日の今日、すごい数のムスリムで通りが埋まっていました。

 この街がヨーロッパにありながら、なぜこのようなイスラム文化やイスラムの教会があるかを知るには、ボスニアの歴史を理解する必要があります。

 ボスニアは11世紀に中世クロアチア王国の支配を受け、当然ながらキリスト教の支配下にありました。しかし、15世紀にオスマン朝が侵攻し、1527年にオスマン朝の領土に組み込まれると、その後、約400年続くオスマン朝の支配の中で、イスラムの宗教と文化が浸透していきました。オスマン朝は非イスラム教徒に対して比較的寛容だった為、各種の宗教がこの地で育まれていったということです。

 Sarajevoの、この旧市街地には、およそ200m四方の中に、モスク(イスラム教寺院)、セルビア正教会、キリスト教会(カソリック)、シナゴーク(ユダヤ教会)が存在するのです。この様な街を僕は初めて見たため、心の底から感動しました。こここそが真のコスモポリタンが生まれる町に違いない、と感じたのです。この様な街は世界的にはエルサレムが有名ですが、世界でそれほど多くないと思います。Sarajevoは聖地でもなんでもないのですが、ここは各種宗教施設が密集しており、単純にその様子に感動しました。


 さて、今日はあまり時間もないため、旧市街周辺をぐるぐる散歩することにしました。旧市街の通りは数百メートルほどと短いのですが、そこを抜けると聖火が灯されていました。ここには戦禍で亡くなられた方々のためのモニュメントになっています。
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 こちらはその前の通り。
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 歩き回って南の方へ行くと、日の丸を見つけてびっくり。
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 よく見ると日本大使館でした。地球の歩き方に載っている位置と異なっていたため驚いた次第。移転していたようです。

 こちらはそこからすぐ近くにあるpivara(ピバーラ)。ビール工場です。
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 これは国立図書館。92年の内戦で蔵書はすべて焼けてしまったが、外壁だけ残っているという建物ですが、とても立派な建物です。1914年のサラエボ事件当時はこれが市庁舎だったそうです。
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 モスクは小さいものがあちこちにありました。
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 こちらがかの有名なラティンスキー橋(旧プリンツィップ橋)。
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 橋の上からの山の方を望んだ景色です。
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 この橋の袂はオーストリア・ハンガリー帝国皇太子、暗殺事件の現場です。歴史の授業で習いましたよね?セルビアのいち青年が、オーストリア・ハンガリー帝国皇太子を暗殺し、第一次世界大戦の火蓋が切られた、という例の現場です。

 現在はこの様な説明書きの石碑があるのみです。しかもビルの土台に埋め込まれているのみです。
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 全文は以下の通り。
 FROM THIS PLACE ON 28 JUNE 1914 CAVLIRO PRINCIP ASSASINATED THE HEIR TO THE AUSTRO-HUNGARIAN THRON FRANZ FERDINAND AND HIS WIFE SOFIA

 内戦前はもっと立派な記念碑(プリンツィプの足型等)があったそうですが、現在はこの様な一枚の石碑があるのみです。それは、この暗殺者プリンツィプはセルビア人であり、BiH側から見ると敵対国セルビアの英雄であるため。そこでBiH政府は単なる歴史的な説明書きにのみ改めてしまったのです。こんなところにも内戦の影響は見て取れるのです。

 こちらは夕暮れに浮かぶセルビア正教会
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 この日は移動疲れもあり、外で食事をせず、結局pivo(ビール)1.1KM(約100円)を買って宿へ帰りました。妻は20時頃寝てしまいましたが、僕はpivoを飲みつつ、本を読んだり、テレビを見てました。ミラン×パルマや、スペインのクラシコをやってたのですが、気付いたときには既に後半でした(残念!)。


 つづく
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by vamos_tokyo11 | 2007-02-04 11:46 | 2006 旧ユーゴ

10/22(日) Sarajevo(サラエボ) その1

 小雨が降る中、Mostarのホテルをチェックアウトし、11:00発のSarajevo行きバスに乗ることにした。本当はMostarから出ている電車に乗りたかったのだが、インフォメーションセンターで「8:00と17:00の発しかない」と言われ、早起きするのもイヤだったので、結局バスを選択することにした。ちなみにこの後、バスに乗って、何度も線路を見かけたが、結局一度も列車を見ることはなかった。

 Mostarのバスステーション。鉄道駅も併設している。
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 あいにくの雨だ。山あいの町だからか、外に出てもひんやりした。バス・ステーションで小一時間ほど待って、Sarajevo行きのバスがやってきた。バスは見た目も超オンボロで、一人14.50KM(約1,200円)だった。

 BIHの通貨について触れておくと、ここは「兌換マルク」(KM)という通貨が流通している。前日にホテルとStari Mostの中間にあった銀行(NOVA BANK)で、クロアチア・クーナからマルクへ両替したが、そこでは600Kn→154.31KMであった。1KM:4Knであるため、これ以降、1KM:80円で考えることにした。

 さて、バスだが、こちらは3時間の道のり。なんと途中にトイレ休憩は一度もなかった。水分を控えて、発車前にトイレへ行っておいてよかった。このバスには運転手の他に切符切りのおっさんが一人乗っていて、途中から乗ってくる人間から料金を徴収していたりしたのだが、ちょっと偉そうな態度で、風貌が坊主時代のカントナに似ていた。

 バスの中。
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 道中は山間を縫って走っていたが、渓谷あり、小さな町あり、で小雨、霧の中ではあったが、なかなか景色が楽しめた。クロアチアのアドリア海沿岸の美しい景色を見る為にバスを進める本があったりするが、僕にとってはこちらの起伏に富んだ景色の方が魅力的だった。山の紅葉もなかなか見事で、緑が豊な土地であることが実感できた。霧に囲まれた幻想的な湖を見ながら聴いたQUEENの「Beautyful day」は感動的だった。

 ところで、今回乗ったバスは、この旅で最もオンボロだった。これまでクロアチア航空のシャトルバスはベンツでピッカピカだったし、DubrovnikからMostarへ来た時のバスも長距離用っぽくてそれなりだった。でも今回のはすごい。

 まず、シートになんだかシミが付いてて、変色してるのだ。穴が開いてるのも当たり前。で、この移動中、ずっと雨が降っていたのだが、なんと雨漏りしてくるではないか!シミの原因は雨漏りだったのだ。

 僕らは穴が開いてるシートを避けて後方に座っていたのだが、3列ほど前のシートの上の方から雨漏りがしてきたのだ。最初は見間違いかと思っていたら、右の方へポタポタと滴が垂れ始めてきた。そうこうしているうちに、道が悪いのでバスが跳ねて左へ傾いた際、右に溜まっていた雨水が左へ流れ込み、「じょろじょろ!」と落ちてきたのだ。左端に座っていた兄ちゃんが席に置いていたカバンにバババッと掛かって、その兄ちゃんはびっくりしてカバンを移動させる(笑)。それを見て目を丸くして妻と顔を見合わせ、思わず声を上げて笑いそうになるのを堪えたりしていた。

 他にも、バスが渓谷沿いに急坂を登っているとき、運転手がギアを下げたが、うまくギアが入らずにエンストしたときは本当にびびった。ギアが入らずにガリガリと音を出してて、つまり整備もされてないっぽいのである。乗客全員心配そうに運転席を気にして覗きこむように身を乗り出し、なんとかエンジンが掛かったときには、みんなほっとしたような感じだった。あんな峠で立ち往生していたら、と思うとゾッとする。

 途中に見えた町。あいにく景色の写真は席の反対側で撮れませんでした。
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 そんなこんなでバスの3時間は終了。道が悪くて揺れっぱなしだったが、山や渓谷の景色、それにバスの中まで楽しめた。大通りに入り、随分栄えてきたなぁ、と思ったらそこはSrajevoだった。今走っているこの道こそ、かの有名な「スナイパー通り」なのだ。それを思うと、ついにやって来たんだ、と感慨深かった。

 大きなビルが見えてきたと思ったら、すでにSarajevoだった。
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 バスを降りるとSobeの客引きが凄い。Mostarでもあったし、それ以外の街でもあったのだが、Sarajevoのは特にすごかった。数少ない客を取り合うかのように、客引き同士で喧嘩しているのだ。これがSarajevoか、やはりまだまだ貧しいのだろうか、などとちょっと怖くなって足早にトラムへ向かった。トラムで宿へ向かう。宿は旧市街のすぐそばにあるので、バスターミナルからはトラムで一本で行けるのだ。

 トラムステーション。バスターミナルからすぐで、鉄道駅も目の前にある。
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 これが世界で最も有名なHoliday Inn。トラムから見える。
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つづく
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-23 23:09 | 2006 旧ユーゴ

10/21(土) Mostar(モスタル) その2

その1の続き。

 ホテルに荷物を置いて、すぐにStari Most(スタリ・モスト)(石橋)のある、旧市街区へ向かうことにした。

 日本人には馴染みのないこの土地を、なぜ旅行地にしたのかと不思議に思う人もいるだろうから、本文に入る前にMostarの説明を先にしておきたい。


 Mostar:モスタル(Wikipediaより)

 モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市。ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトバ川が流れている。1995年から町の復興が開始されたが、敵対していた民族の居住区は分離されることとなった。モスタルの象徴であった橋(石橋)は1999年から元通りに復旧させることとなり、2004年春に工事が完了した。なお、橋とその周辺は2005年にユネスコの世界遺産に登録された。

 参考:TBS「世界遺産」
 モスタル旧市街の古橋地区
 (Old Bridge Area of the Old City of Mostar)


 Mostarの旧市街区に架かる橋は、ネレトバ川の最も狭いところに架けられていた橋脚を持たない石橋で、1566年に架けられ、Mostarを象徴する橋となっていた。しかし、旧ユーゴの内戦の最中、1993年にこの橋は破壊され、上のwikiの記述の通り、2004年に再生されたものだ。橋の開架式にはイギリスのチャールズ皇太子も訪れたそうで、欧州を挙げてBIHの復興を支えようという気概が感じ取れる。


 さて、バス・ステーションからホテルの間は小さな田舎町だなぁ、という印象しかなかったのだが、旧市街区へ向かう中で、いきなり印象を改める光景が目に飛び込んできた。道中にビルの骨組みだけになっている建物が廃墟としてそびえていたのだ。最初、これを見たとき写真を撮るのは憚られたが、帰り道に観光客が割りと多いこともあり、撮ったのが下の写真。
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 また、ホテルから橋のある方角と逆へ向かうと、割と大きな交差点に出るのだが、そこにも巨大な廃墟となったビルが手付かずのまま残っていた。
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 他にも一本裏の通りには、普通の公園に明らかに不自然な形で墓石が並んでいて、公園が墓地に変わってしまったことを伺わせるところもあった。こちらは観光客が通らない普通の道路でもあり、写真はさすがに控えることにした。子供たちは普通に公園で遊んでいたが、公園の中の墓石には不自然な印象を受けた。

 デイトン合意から10年以上経った今もこのような状況が残っている。アドリア海沿岸で見た青い空、青い海、と対照的に薄曇りの天気だったせいもあり、クロアチアとBIHの差を強く意識した。


 旧市街区へ。

 ホテルから10分弱で旧市街区へ到着。途中、明らかにクロアチアと異なる景色が目に入る。モスクだ。キリスト教徒の国、クロアチアでは絶対に見ることのできない雰囲気を醸し出してるのは間違いなくモスクの存在だ。それも決して豪奢ではなく、そこに昔からある、日本で言えば街に昔からある神社のような、そんな存在に見えた。BIHはヨーロッパ人からすると、オリエンタルな雰囲気を身近に味わえる存在に違いない。
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 旧市街区では昔ながらの家々が並び、道には石畳が轢かれ、美しい。
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 奥に見えるのがStari Most(石橋)
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 石橋への途中は古い家並のみやげ物屋が並ぶ
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 これが石橋。団体旅行客が大勢いて、ものすごい混雑だ。
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 橋の袂(たもと)から
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 橋からネレトバ川を望む
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 その対岸。そこには気持ち良そうなCafeがあった。
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 対岸の袂にある、置き石。93年は内戦が始まった年。
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 上記のTBSの世界遺産でもやっていたが、この石橋では、若者がチップをもらって下の川へ飛び込む、という見世物をやっている。偶然そのタイミングに居合わせることができた。団体客が大勢いたため、恐らくそこからチップをもらっていたのだと思う。それにしても結構な高さですよ、これ。

 下を覗く
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 拍手と共に飛び込み準備
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 飛び込んだ!
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 着水。岸まで泳ぐと下で待ち受けてる人たちから盛大な拍手をもらっていた。
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 対岸も美しい石畳。こちら側はクロアチア人が住む地区で、橋を渡る前のモスクのある側はムスリム人の居住地となっていて、現在も分かれているそうだ。ここを訪れるだけでは気付かない事実もある。
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 対岸のCafeでビール
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 そのCafeから橋を望む
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 川面から橋を見上げる。
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 ネレトバ川の水は冷たかった。

 UNESCOが橋を再建し、再び世界遺産に指定したのは観光客をこの地に連れてくるためだったのかもしれない。というのも、世界遺産に指定することにより、多くの欧州人が訪れ、経済的に街が自立、復興へと向かうと考えたのではなかろうか、と感じたからだ。

 この地はクロアチア側からサラエボへ向かう途中で立ち寄るには、昔と同様にちょうど良い中継地点だ。旅行するには良い立地にある。逆に言うと、それだけの要衝の地ということだ。つまり、セルビア軍、クロアチア軍、BIH軍が、三つ巴で大変な戦いをしていたことは想像に難くない。事実、Mostarは激しい戦場だったと聞く。

 何せ、橋はこのStari Most以外にも多数架かっており、恐らくそれらも破壊されていたに違いないだろうから。Stari Mostは人が通れるだけの小さな橋にもかかわらず破壊されていたのだ。やはり尋常ではない。

 旧市街区では非番と思われる国連兵士(フランス軍兵士4人、ドイツ軍兵士1人(女性))が歩いたり、記念撮影をしたりしていた。上空には国連軍のものと思われるヘリも飛んでいて、ここBIHが実質的に国連統治下にあることを思い出させられた。
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-06 01:31 | 2006 旧ユーゴ

10/21(土) Mostar(モスタル) その1

 この日は8:00発のMostar行きバスに乗るため、7:00にタクシーへ乗り込む。前日にチェックアウトを済ませ、SOBEの主人であるZoranにタクシーを手配してもらっておいたのだ。タクシーは80kn(クーナ)だったので、おおよそ1,600円。荷物の重さと、坂道の厳しさ、20分ほど乗っていることを考えるとお得だ。

 Mostar行きのバスは、Dubrovnikのバス・ステーションから発着しているが、このステーションは旧市街から離れた新市街の中にある。Dubrovinik自体が平坦な土地がないため、新市街は少し離れた半島に位置しているのだ。

 バスのチケットはバス・ステーション内の窓口で購入。ハイシーズンだと人が多くて、当日に購入できないこともあるのかもしれないが、我々は全く問題なく購入できた。このバス、Mostar行き(バス自体は経由しサラエボまで行くようだ)は、1日に2本、朝と夕方の発しかなく、頑張って早起きすることにしたのだ。

 バスのチケットは78.30kn(約1,600円)。タクシーと比べるとホントに安い。

 バスは、海岸沿いをしばらく北西へ走り、その後、内陸を目指して走ることになる。この間、国境を3度通過する。何故かと言うと、Dubrovnikはクロアチアの飛び地になっていて、海岸沿いを一度、ボスニア・ヘルツェゴビナ(ボスニア語でBosna i Hercegovinaであるため略称がBIH)を通り、またクロアチアへ入って、再びBIHへ入る、という形になるのだ。(この辺りの国境線はこういう形をしている)

 DubrovnikからMostarへは3時間少々で到着するため、途中、サービスステーションでの休憩が一度あった。乗ってから最初の国境を越えたところで休憩。つまりここはBIHなのだ。最初の国境では、成田空港にリムジンバスで入るような感じで、パスポートを見せるだけだった。

 これが休憩所。
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 奥に見える料金所のようなところが国境。
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 休憩後にバスが走って、10分程のところで再び、クロアチアへ入国。そこからしばらく走った後、いよいよBIHへ入国。

 ここが国境。
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 まず、バスの運転手がパスポートを回収する。クロアチア側の事務所へこれを持って行き引き渡す。出国審査を行った後、パスポートが返却された。次にBIH側の検察官がバスに乗ってきて、パスポートを確認し、ハンコが押された。クロアチア人なのかBIH人なのか分からないが、いずれかの人は免許書の様なIDカードを持っていて、それで出入国できるようだった。

 途中、目立った観光地もないが、小さな町が点在していた。不思議なのが、何箇所かで道路の上に洗濯のように紐を垂らして、クロアチア国旗が飾られていたことだ。ひょっとするとBIHの中でのクロアチア人居住区だったのかもしれない。BIHはボスニア人が圧倒的多数を占める人種構成ではなく、クロアチア人、セルビア人も多く住んでいるため、この様なアピールをしていたのかもしれない。

 Mostarのバスステーションへ到着し、宿へ向かおうとすると、いきなり日の丸を付けたバスが目の前にあって驚いた!
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 日本政府の援助で買われたバスだ。こんなところで日の丸に会えるとは。誇らしかった。
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 バス・ステーションへ着いた限りだと、単なる田舎町に来た感じで、BIHに入国したと言っても、特段貧しそうにも見えず、内戦の跡も見られない。10月の半ばにTBSの世界遺産でMostarが放送されたとき、その旧市街と石橋地区だけの町かと思っていたのだが、普通に車の往来もあり、割と発達した町に見えた。

 Mostarでの宿は、Hotel Bristolで、ここはEUの支援で再建されたらしく(フロントにその旨を記してあった)、設備も塗装もしっかりしていた。目の前にはネレトバ側が流れていて、景色が素晴らしく、絶好のロケーションだ。

 ネレトバ川に架かる橋から見たHotel Bristor
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 部屋のベランダからネレトバ川を臨む
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 クロアチアでは見ることのなかった内戦の爪跡が目に入ってくる。川を挟んだ反対側の建物は破壊されたままだった。
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 荷物を置いて、早速Stari Most(石橋)へ行くことにした。

つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-12-24 00:57 | 2006 旧ユーゴ

10/20(金) Dubrovnik(ドブロヴニク)観光 その2

その1の続き)

 旧市街の中にはなぜか教会が4つも5つもあります。さらに、この街にはシナゴークやセルビア正教会もあるみたいでした。”あるみたい”というのは、特にシナゴークは地図で示されている周辺をぐるぐる周ったのですが、辿り付けなかったのです。建物の中に入ってしまってるのか、よくわかりませんでしたが、とりあえず見られませんでした。

 それらとは対照的に、キリスト教会は地図上でも大小合わせて7つもあるのです。ひとつが前回載せた「大聖堂」ですが、他に、街の中心を通っているプラツァ通りにも立派なフランシスコ修道院があります。

 と、ここまで書いて疑問に思ったのですが、教会と修道院というのは別物なんでしょうか?勝手に同じ「寺」だと認識していましたが、名前が違うんだから異なるものなんだろな、きっと。と
言うことでこちら。

(三省堂 デイリーコンサイス国語辞典より)
 ▼修道院
  キリスト教で,僧(尼僧)が修行をしながら共同生活する僧院.
 ▼教会
  (1)教徒の組織. (2)教徒の会合・礼拝に使う建物.
 
 なるほど。。。
 やっぱり別物でした。「修道院」に関してはこちらの4段目辺りの解説も分かりやすかったです。いま、初めて知りました。映画「薔薇の名前」は見たことあるんですが、あの頃はよくわからないまま見てたんですね。。。(あの頃は中学生だったからな。。。)
 要は修行する場所なんですね。Dubrovnik旧市街には修道院が3つもあるので、やはりそれは驚きです。

 話は戻りますが、これがフランシスコ修道院の内部です。こちらは写真がOKでした。大聖堂は内部の撮影がNGでした。その違いでもやはり教会ではないんだな、という感じがします。が、しかし、お祈りする場所と見れば同じ様に見えましたし、さらに言えば、こちらの修道院の方が内部が煌びやかに見えたのは、新しいからかもしれませんが、不思議なものです。
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 プラツァ通りは、東の端のルジャ広場から西の玄関口であるピレ門(Gradska Vrata Pile)までは、わずかに300メートルほどしかありません。両サイドには前回の写真に載せたようなcafeやフランシスコ修道院、他に銀行、みやげ物屋、といったものが並んでいます。ですので、街を散策している間はこの通りを行ったり来たりすることになります。

 こちらはルジャ広場に立つローラント像です。Dubrovnikは商業都市として栄えていたそうで、この1418年に製作されたローラントの右手の肘から手までの長さ51.2cmは「ドブロヴニクの肘」と呼ばれ、当時の商取引の際に使う長さの単位となっていたそうです。
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 もし、買った織物などの長さを誤魔化されたと思った者は、住民であれ、外国商人であれ、誰もがこの肘で長さを確かめ、不正を訴えることができたそうで、取引が公正になるように、公共の広場にある像の肘を、敢えて長さの単位として使っていたそうです。


 だいぶ歩き回りましたが、ここからがメインイベントです。城壁巡り。

 旧市街を囲む城壁は1940mもの長さがあり、周囲をぐるりと歩いて回ることができます。料金は50Kn(約1000円)です。10~3月は10:00~15:00までの営業と書いてあったのですが、夏と同じく、営業時間は19:00までとなっていました。

 今回の旅でここに来ることを決めたとき、絶対にやりたいことが、この城壁巡りでした。街を一望でき、外と内の境目の上を歩いて回るなんて、考えただけでもワクワクするじゃありませんか。海の防波堤を歩いたり、見晴らしの良い高いところを歩くことって楽しいので、行く前から非常に楽しみにしていました。そしてそれは期待を裏切らないものでした。

 東側のプロチェ門の入り口から上り、反時計回りに城壁を歩きます。

 下に見えるのはプロチェ門からルジャ広場への道です。
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 城壁の上はこんな感じです。
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 街の中はこんな感じ。朱色の屋根と空。
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 城壁の外側(北側)です。箱のように石が積み上げられていますが、これらは砲台で、一番奥の最も高いところも登れます。
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 同じく北側。真ん中辺りから東を望んでいます。
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 一番上にある砲台(地図でいうと一番左上の角)から下を覗くとかなりの高低差があります。
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 砲台から外を覗く。
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 一番上の砲台から。奥に見えるのはロクルム島(Lokrum)です。無人島ですが、夏には島の東側はヌーディストビーチになってるそうです。クロアチアはヌーディストビーチ(最近はナチュラリストビーチとか言うそうですが)が多数あるそうです。余談ですが、バリのクタビーチでもトップレスのオージーの方々がいましたが、何も知らずにそういう人たちに遭遇すると心底ビックリしますよね。
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 一番高いところから下り、南へ行きます。この辺りは結構急な階段。
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 これがプラツァ通り。西からルジャ広場を望んでいます。左側に見える建物がフランシスコ修道院。
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 一番南側の辺まで来ました。さっきいた最高峰の砲台を望む
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 外側はすぐ海。断崖絶壁。
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 一番下の辺りから。西を望む。女の子が断崖絶壁の上でくつろいでました(!)。奥に見えるのは城壁の外の街です。
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 一番南の壁の裏にはcafeがあってびっくり。城壁にドアがついてて外で飲めるんです。昔から勝手口みたいにドアがついていたのかは不明です。
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 東にある旧港です。ルジャ広場からすぐ行けます。
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 城壁めぐりを終えた頃から天気が怪しくなってきて、小雨が降り始めました。雨の景色もなかなかよかったです。夕方の中途半端な時間でしたが、おなかも空いてたので、旧港に面したレストランで食事をとりました。またシーフード系のものを食べましたがやっぱりおいしかったです。
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 その後、夜中に腹が減るに違いない、と思ってパンを買い、ヒイヒイ言いながら階段を上り(恐らくビルの15階分くらいはあると思います)、SOBEに到着。明朝、バスでモスタル(Mostar)へ行くため、翌朝のバスターミナルまでのtaxiを手配してもらい、荷造りしました。

 Dubrovnik、旧市街しか見れませんでしたがいいところでした。夜中に見た城壁の圧倒的な迫力はまぶたに焼きついています。機会があれば、またぜひ立ち寄ってみたいです。


つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-11-19 15:37 | 2006 旧ユーゴ

10/20(金)Dubrovnik(ドブロヴニク)観光 その1

 まずは街の紹介です。

 ■Dubrovnikとは

 クロアチアの南に位置し、アドリア海に面した町。中世には、ヴェネチアと並ぶ海洋都市国家として地中海交易に名を連ねたそうだ。旧市街地には、かつての面影を残す歴史遺産が詰まっている。
 西ローマとビザンチンの境目に位置し、ヴェネチア、オスマン・トルコという強国に囲まれながら、1805年にナポレオンに共和国が解体されるまで長い間独立を保ってきたという、「奇跡の独立共和国」だった。
 今ではクロアチアきっての観光地として知られ、”アドリア海の真珠”と言われている、このDuborovnikは1979年に世界遺産に登録された。
(参考:Wikipedia

 巷では、「魔女の宅急便」の街のモデルになった、と言われているそうですが(僕自身、妻に言われるまで知らなかったうえに、映画も見ていませんが)、映画の街は、実際はストックホルムの町を参考にしたそうです。ジブリのページにそう書いてあります。それよりもSplit,Trogir,Dubrovnikと来て思ったのは、「紅の豚」の風景に似ているなぁ、と感じていました。そしたらジブリのページにも「アドリア海とその周辺」とあったので、きっとそうなんでしょう。青い空と青い海はまさに映画の通りでした。ちなみに「紅の豚」は大好きな映画です。ジブリの中で一番好きかもしれません。

 Dubrovnikのクロアチアの中での位置
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 街の地図(右下のold townというところが城壁の街です)
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 旧市街の地図(僕らが観光したのはこの旧市街です)
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 ■日記です。

 Sobeの部屋で目が覚める、ベランダへの窓を開けると、こんな美しい朝焼けの景色がありました。
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 そしてベランダからの景色。旧市街が一望できます!
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 朝食はベランダに用意していてくれて、肌寒いのも忘れておいしく頂きました。どうも前日までは暖かかったのに、僕らが来た日から気温が下がったそうです。ジュースもパンもあって、コーヒーは初のボスニア・コーヒー(トルコ・コーヒー)でした。
 こんな感じで底に粉が溜まっています。この部分は飲めません。おいしいですよ!濃いコーヒーが好きな人は気にいると思います。
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 Sobeは階段の途中にあって、すごく急です。本当は背後にそびえるSrg(スルジ山)を登って街を一望したかったのですが、この急坂っぷりと、この階段を登ったところの道路が車道しかなく、危険でとても徒歩では登れそうに無かったので、山を登ることは諦めました。ちなみに山はtaxiでは4000~5000円で登れるそうです。

 ベランダから見たスルジ山。ケーブルカーがあったそうだが、内戦により新ユーゴ軍に山頂駅は破壊されて、今もそのままとのこと。
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 Sobe脇の階段(ここを上りきりました)
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 上りきったところからの旧市街。ここまで上るといい景色!ですが、写真だとベランダからのが小さくなっただけですね(笑)。
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 山の上に宿があるように見えますが、階段をひたすら下っていくと7~10分ほどで旧市街の西側にあるプロチェ門(Vrata of Ploca)に到着します。

 急な下り坂
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 急坂を下りてもまだ、坂が続く。石の階段と家が美しい。
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 プロチェ門(Vrata of Ploca)に到着
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 門の入り口にはこの内戦で砲撃を受けた箇所が赤く記されていました。また、城壁の中には、内戦においてDubrovnikを守り、亡くなった人たちの写真や、破壊された街の写真がありました。ちなみに左上の紋章はDubrovnikの紋章です。
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 門から街の入り口まで城壁で囲まれています。日本の城の門が真っ直ぐになっていないのと同じく、2度ほど直角に曲がると入り口にたどり着きます。街は人でごった返していました。この旅一番の人出です(笑)。やっぱり世界的な観光地なんだな、ということを実感。日本人の団体さんもいました。

 プロチェ門から入るとすぐに現れる街の中心部、ルジャ広場(Luza trg)
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 こちらは広場から南へ上ったところにある大聖堂
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 その後裏の細い道を歩き回ると、Splitと同じ様に路地裏に家があり、普通に生活している人たちがいます。驚いたのが、こんな狭い場所なのに、やたらと階段があること。でっぱった土地に城壁を築いたことがわかります。平らな場所はほとんどない。昔はこういう狭い場所の方が周囲の外敵から守りやすく、好まれたのかもしれません。

 ごちゃごちゃしたところからルジャ広場に通じているプラツァ通り(Ulica od Placa)へ戻る。この通りはかつて水路だったそうで、これより南側が本当の旧市街だったそうです。埋め立てて街を拡張した、ということですね。

 プラツァ通り
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 この通りから交差して路地が延びています
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 後半はほとんど城壁からの絵になります。


 つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-11-14 00:19 | 2006 旧ユーゴ

10/19(木)Split→Trogir(トロギール)観光 その2

10/19 その1のつづき)

 Trogirから橋を歩くとすぐにCiovo(チオヴォ島)に渡れる。
 島に渡ってから見たTrogir。
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 島側では普通の人々の家々を眺めて、普通の生活を垣間見れたのは楽しかった。道は狭く入り組んだ感じでしたが、どの家も花や緑を大切に育てていた。ところどころ壊れた家があったのだが、これは内戦の影響だったのだったのだろうか。この旅で最初にみた廃墟だった。

 こんな狭い路地もある。正面は工事中。
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 歩いていくと丘になっていて、それを上ってTorgir方面を撮った写真
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 上りきったところにあったOsim標識。このOsimの意味、誰か知ってたら教えてください。ちなみに旧ユーゴ諸国にはいたるところにこのOsim標識がありました。
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 こんな風に花の咲いてる家が多かった。
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 十分に歩き回ったので、Trogirへ戻る。Trogirの中をしばし散策し、古い街並みを楽しみ、Splitへ戻るべくTrogir入り口のバスステーションへ。Trogirを後にしてSplitへ戻る。
 Trogirの街の中のレストラン。石畳が気持ちいい。
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 Splitの街を少しぶらつく。そこでなんとも珍しい光景を発見。ラグビーの練習をするグラウンドで、野球の練習をする人たちがいた。ノックしていたのだ。こんなところに野球が普及しているのか、とかなり驚いた。思わずパチリ。写真ではわかりにくいがノックをしている。
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 こちらは城壁の外側の市場
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 夕食は魚市場の脇にある、「地球の歩き方」に載っていたレストラン「Nostromo」(ノシュトロモ)へ。ここでもシーフード料理、ということで、シーフードスパゲティにシーフードリゾットなどを注文。どこもそうなのだが、まず量が多いのがうれしい。そして一緒に出てくるパンがおいしいのもうれしい。 シーフードスパゲティとあるので、ペスカトーレを想像していたが、クリームスープのスパゲティで、そのクリームが魚介の旨みをたっぷり吸い込み、程よく茹で上がったスパゲティとコッテリと絡み合い、大満足の味わい。シーフードリゾットも同様の濃厚さだった。
 Splitへ行く人に絶対オススメのレストラン。このレストランはこの旅の中でも屈指の美味さだった。ちなみに当然と言うかシーフード料理以外のものもあった。

 おいしそー!なシーフードスパゲティ。
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 お店の外観
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 このあと、宿に置かせてもらっていた荷物を引き取って空港へ行き、空路SplitからDubrovnik(ドブロヴニク)へ。バスでも4~5時間の距離だが飛行機を選択。これもZagreb→Splitと同じくCroatia Airlinesのweb予約でチケットを購入した。

 Dubrovnikでは空港からピレ門へ空港バスで移動。車中、夜中であまり見えなかったが、たまに木の間からライトアップされたDubrovnikの城壁が圧倒的な迫力で姿を現し、思わず声を上げる。バスが城壁の横へ来たときにはそのバスの何倍もの高さの壁の間(恐らく昔、堀だったと思われるところ)をすり抜けていく。夜、真っ黒なその姿を見ると、暗く高い壁がのしかかって来る様な異様な迫力である。

 空港バスは城壁の東側にあるピレ門へ到着。そこにはSobe(民宿)の主人がクルマで迎えに来てくれており、そのクルマに乗って宿へ。なんとその宿からの景色のすごいこと!夜中(22時頃)で辺りが静かな住宅地にも関わらずにも思わず声を上げてしまった。部屋にはバルコニーがあり、そこから城壁が見える。夜景の写真は綺麗に撮れてないので載せられないが、肌寒いにも関わらず、しばし見とれてしまうほどの美しい夜景だった。全景は翌朝の写真でご覧入れます。

 これは宿の主人(Zoran)と猫のミツコ。いい人といい猫です。
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 猫の名前はこの宿を紹介している日本人につけてもらったようです。ちなみにこの宿を紹介されているページはこちらです。我々はこのページあるメールアドレスで直接連絡して予約をとりました。お世話になりました。

 明日は、Dobrvnik観光です。


つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-11-10 00:11 | 2006 旧ユーゴ

10/19(木)Split→Trogir(トロギール)観光 その1

 本日も快晴。今日の夜にはSplitを発ち、Dubrovnik(ドブロヴニク)へ向かうことになっているが、20:50発の飛行機のため、本日も終日Splitで観光ができる。とはいえ、旧市街も見るものがほとんどないので、午前中はSplitで観光、午後はSplitの西20Kmに位置するTrogirという城壁に囲まれた小さな島へ観光に出かけることにした。

 ホテルをチェックアウトして、外から泊まった部屋を撮影。城壁の中に部屋があることがわかる。城壁のすべてがホテルになっているわけではなく、ごく一部がホテルとして利用されているようだったが、どこからどこまでがホテルなのかはよく分からないままだった。城壁の中に部屋があるということ自体が面白い。
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 泊まった部屋は、3階の白い窓が開いているところ。

 Splitでは朝から魚市場がにぎわっているということで、それを見学へ。
 こんな感じの広場で、
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 こんな感じで量り売り。
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 魚市場の脇の通りから海の方を望む
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 腹が減ったので朝飯としてピザとパニーニを食す。あわせて13HRK(約260円)ウマい上にでかくて安い!パン屋の中で食べられるようになっているのでそこで立ち食い。パニーニはその場で焼いてくれる。他の客が注文していてウマそうだったので、同じモノを、ということで注文したらなんとか通じた。
 ひと口噛ったあとですんません。。
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 だらだら散歩しつつ、cafeに入る。kafe(coffee)を注文。まだ午前中なのにどこのcafeも盛況。みんな観光客なのだろうか?僕には現地の人と観光客との見分けがつかない。
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 こちらはお金。kuna。メニュー等ではknと書かれている。
 10HRK紙幣と、上のコインが2HRK、右下の2枚が1HRK、左下が補助通貨50Lipa(リーパ)。Lipaはほとんど使った記憶がない。
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 海沿いのcafeから城壁の方を見る。海の色が南国ちっく。
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 お昼近くになって、Trogirへ出発。バスで約35分の道のり。バス・ステーションは空港バス乗り場から南へ200mほど行った左手にあり、すぐわかる。バス・ステーションの裏には鉄道駅があるが、一度も電車が発着するところを見ることはなかった。

 バス・ステーションの向かいに泊まっているフェリー。
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 チケットを買ってバスへ乗車。道中空港を左手に見ながら坂を下っていく。

 Split、空港、Trogirの位置関係。バスは湾をぐる~っと周って行く感じになる。
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 Trogirは城壁に囲まれた小さな島で本土と、Ciovo(チオヴォ島)とそれぞれ橋でつながっている。1997年にユネスコの世界遺産に登録されており、町の起源はギリシア時代にまで遡るそうだ。

 これがTrogirの航空写真。Zagrebから飛行機に乗ってきたとき、あー、なんか城壁とサッカーグラウンドがあるなぁ、と写真に撮った場所が偶然Trogirだったもの。
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 橋の入り口に掲げられている世界遺産を示す立て札。上の写真では右上のあたりになる。運河になっていて、ボートの類がたくさん係留されており、リゾート気分満点。橋を渡るとTrogirだ。
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 Trogirの正門
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 この街も城壁の中に人が住んでおり、市庁舎もありました。大聖堂と鐘楼があるスタイルはSplitと同じで、サイズ的にもSplitのミニチュア版と言った感じだった。

 城壁の中にある市庁舎
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 城壁から出ると海(対岸にはCiovo(チオヴォ島))
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 海沿いは遊歩道として整備されていた
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 鐘楼とやしの木
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 Splitとの違いは巨大な要塞が残っていたことだろうか。残念ながら修復工事中で中に入れなかったが、外から見ても立派な建造物だった。

 カメルレンゴの要塞
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 聖マルコの砦
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 そしてなんと2つの砦の間にはサッカーグラウンドが!クラブチームだと思われるが色んな年代の子供たちが練習していた。空から見えたグラウンドはこれだったのだ。それにしてもすごい場所にあるもんだ。
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 こちらはSplitのクラブ、Hajduk Spritのトレーナー。Trogirの青空市場で発見。東京に戻ってきて確認するまで知らなかったが、CroatiaではDinamo Zagrebと並ぶビッグクラブで、旧ユーゴ時代でもベオグラードのレッドスター、パルチザンと、ディナモと合わせて4大クラブと言われていたそうだ。
 DinamoはBoysだったが、HajdukはTorcida
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 cafeで休憩。もちろんpivo。このKarlovackoはOzujskoより軽い感じがした。青空の下で飲むにはぴったり!
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後半は南のCiovo(チオヴォ島)に渡り、普通の街の人たちの住宅街を散策します。


つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-11-08 01:23 | 2006 旧ユーゴ

10/18(水)Split(スプリット)観光 その2

 まずはSplitという都市の紹介から。

 Splitはクロアチア第二の都市で、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245~313)が退位後に建てた宮殿が起源となっています。295~305年にかけて建てられた宮殿は城壁で囲まれ、ロマネスク様式の大聖堂や、アーチ型の天井を持つ神殿が残っていて、7世紀には廃墟となっていた宮殿にサロナから移住して来た人々が住み始め、街を形成していきました。現在でも城壁の2階が住居として使用されています。これらの史跡郡は、1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。
(参考:「旅名人ブックス クロアチア」「地球の歩き方」)
Wikipedia:スプリット


 さて日記です。

 ホテルへ荷物を置き、早速外へ。今日は旧市街を周ることに。旧市街の全景はこの様になります。
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 市街地は城壁に囲まれている中に建物が密集してて、狭い通路が続いて迷路のようになっています。
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 普通にお店も入ってて不思議な感じです。
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 生活している人もいるので洗濯物も干してあります!
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 城壁の地下には遺跡があり、宮殿の柱などが残っている。8HRK(約160円)で中へ入れます。
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 街ができた頃はこんな感じでした、という絵が飾ってあります。
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 その出口から地下を通って地上へ出たところに突然広場が現れて、大聖堂と13~16世紀に建てられた高さ60mの鐘楼があります。大聖堂は元々ディオクレティアヌスの霊廟だったらしいのですが、7世紀に大聖堂として改築されたそうです。ディオクレティアヌスはキリスト教徒を迫害していたのですが、彼の後の皇帝がキリスト教をローマ帝国内で認めたため、ディオクレティアヌスの遺体を収めた石棺をどこかへ持ち出し、霊廟が大聖堂に改築された、ということだそうです。今となっては石棺の所在は不明とのことでした。
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 大聖堂内は撮影禁止であるため、写真はありませんが、中は絢爛豪華に飾られていました。入場料が必要ですが、いくらだったか忘れてしまいました。

 60mある鐘楼は迫力満点です。旧市街には他に高い建物がないため、見晴らしが最高。この街へ興味を持って将来行くことのある人はぜひ上ってください。ここへ上るだけでも、もの凄い満足感があります。

 こんな階段を上っていくと。
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 街中が一望できます!北を望むとすぐ近くに山が見えます。
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 塔から西を望む。小山の上にはクロアチア国旗がはためいていました。
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 塔から東を望む。
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 塔から南を望む。港や鉄道駅が見えます。
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 街を歩き回って夕方になり、海の方(旧港)へ。

 旧港から見る鐘楼。
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 アドリア海に沈む夕日。左は港に浮かぶフェリー。
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 夜は港近くのレストランで夕食。アドリア海沿岸の名物料理はシーフードを使ったリゾットやスパゲティということでイカ墨のリゾット他を注文。もちろんPivoも飲みました。いずれも美味でした。
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 アドリア海沿岸は夏がハイシーズンとなっていて、ヨーロッパでは人気の観光地だそうです。海にも入ることができます。しかし、10月中旬を過ぎても暖かく、街を歩いて周るにはむしろちょうど良い気候だと感じました。旧市街は小さいので周るのに時間もかからないですが、この街に居るだけでタイムスリップした様な気分も味わえ、オススメの街です。

 夜は鐘楼もライトアップされます。
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10/18(水)Split おわり


つづく
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by vamos_tokyo11 | 2006-11-06 01:48 | 2006 旧ユーゴ