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オシム@ジャパン 日経1/26朝刊

 面白そうな特集が始まりましたよ。日経です。毎月第4金曜日掲載。

 といっても、その特集とは、僕がよく訪問するこちらのブログで書かれている「日経の危険球!」のことではありません(ここで書かれてる「甲子園ビジネス」も面白いですよ。僕は、ふ~ん、くらいにしか読んでませんが)。

 今日紹介するのは、武智幸徳氏の記名で始まった「オシム@ジャパン」という特集です。この手のヤツはジーコのときにも特集したりしていましたね。今回はオシムの1回目ということで、最初の2/3ほどの記事は僕らもよく知っているオシム自身の話とオシムの考え方の話でした。

 興味深かったのは最後の3段。オシムは1年のつもりで市原にやって来た。しかし日本にハマったと言うのです。長くなるが引用しておきます。

 「千葉の監督になって驚いたことの一つが、負けチームにサポーターがブーイングではなく”次はがんばれ”と励ますことだった。どうもこの国には結果だけにとらわれない文化がある、ということに気づいた」

 「日本には豊かであることを逆にコンプレックスに感じているサッカー関係者がいる。ハングリーでないと。でも、経済的に恵まれ、何でも選べる中からあえてプロを選んだ日本の選手にはサッカーをする喜びがまだある。そこは欧州のカネまみれりサッカーより、ずっといいと私は思う」

 「自分もその一部だったのだから」と声高には非難しないが、高度にビジネス化し、拝金主義まかり通る欧州サッカーの現状には大きな憂いがある。その反動が、あるいは日本への傾斜をもたらすのか。「日本に来てサッカー観が変わった」とまで言う。

 「日本に感化され、同化したいという意味ではない。それでは皆さんもつまらないし、私が監督をするメリットもない。ともに働きながら、日本人の面白さに感じ入った、ということです。何と言うか・・・・・・日本のアンビバレントなポリバレンと性に。民主主義を原則としながら天皇制があるみたいな。みんなを尊重するやり方といいますか」

 (中略)しかし、二律背反(アンビバレント)に見えるものを無理なく同居させる懐の深さを日本の特性だとオシム監督が語るとき、さらに深い含意があるように思える。


 ここまで文化的な差異を意識して「日本人」の本質を理解しようとする外国人代表監督はいなかったでしょう。ジーコは選手を自立した個として見ていたが、その中に日本人だから、というような発想はなかった。トルシエは日本人を上から見下すような側面はあったが、日本人の長所を捉えるようとするわけでもなく、自分が教えてやろうという高圧的なところがあった。

 なぜオシムは「二律背反(アンビバレント)に見えるものを無理なく同居させる懐の深さを日本の特性だ」と言えたのでしょうか?

 それはやはり「サラエボ人」であったことが大きいのだと思います。現在このブログの「旅日記」が途中のままですが、やはりサラエボなのです。旧市街の中心200m四方にカトリック教会、セルビア正教会、シナゴーク(ユダヤ教会)、モスク(イスラム教)が並び立ち、それらが融合した町、それがサラエボです。それぞれは一神教でありながら隣人と同居できる、真のコスモポリタンを形成する町、それがサラエボでした。

 多神教の国である日本の文化的背景を、「無理なく同居させる」と感じ取れる力が、普通の欧州人にはあるでしょうか?否、トルシエの様な考え方をするのが普通だと思います。バルカンが育んだ文化、それがバックボーンにあってこそだと思うのです。

 オシムの言う「日本を日本化したい」という言葉が、少し分かったような気がしました。


ps 翁曰く、理想のGKは「手も使えるカンナバーロ」。さらにオシムを知った気がします。

pps 顔写真も秀逸。鬼瓦のようで威厳に満ち溢れていて素敵ですw
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-26 23:07 | 日本代表

10/22(日) Sarajevo(サラエボ) その1

 小雨が降る中、Mostarのホテルをチェックアウトし、11:00発のSarajevo行きバスに乗ることにした。本当はMostarから出ている電車に乗りたかったのだが、インフォメーションセンターで「8:00と17:00の発しかない」と言われ、早起きするのもイヤだったので、結局バスを選択することにした。ちなみにこの後、バスに乗って、何度も線路を見かけたが、結局一度も列車を見ることはなかった。

 Mostarのバスステーション。鉄道駅も併設している。
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 あいにくの雨だ。山あいの町だからか、外に出てもひんやりした。バス・ステーションで小一時間ほど待って、Sarajevo行きのバスがやってきた。バスは見た目も超オンボロで、一人14.50KM(約1,200円)だった。

 BIHの通貨について触れておくと、ここは「兌換マルク」(KM)という通貨が流通している。前日にホテルとStari Mostの中間にあった銀行(NOVA BANK)で、クロアチア・クーナからマルクへ両替したが、そこでは600Kn→154.31KMであった。1KM:4Knであるため、これ以降、1KM:80円で考えることにした。

 さて、バスだが、こちらは3時間の道のり。なんと途中にトイレ休憩は一度もなかった。水分を控えて、発車前にトイレへ行っておいてよかった。このバスには運転手の他に切符切りのおっさんが一人乗っていて、途中から乗ってくる人間から料金を徴収していたりしたのだが、ちょっと偉そうな態度で、風貌が坊主時代のカントナに似ていた。

 バスの中。
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 道中は山間を縫って走っていたが、渓谷あり、小さな町あり、で小雨、霧の中ではあったが、なかなか景色が楽しめた。クロアチアのアドリア海沿岸の美しい景色を見る為にバスを進める本があったりするが、僕にとってはこちらの起伏に富んだ景色の方が魅力的だった。山の紅葉もなかなか見事で、緑が豊な土地であることが実感できた。霧に囲まれた幻想的な湖を見ながら聴いたQUEENの「Beautyful day」は感動的だった。

 ところで、今回乗ったバスは、この旅で最もオンボロだった。これまでクロアチア航空のシャトルバスはベンツでピッカピカだったし、DubrovnikからMostarへ来た時のバスも長距離用っぽくてそれなりだった。でも今回のはすごい。

 まず、シートになんだかシミが付いてて、変色してるのだ。穴が開いてるのも当たり前。で、この移動中、ずっと雨が降っていたのだが、なんと雨漏りしてくるではないか!シミの原因は雨漏りだったのだ。

 僕らは穴が開いてるシートを避けて後方に座っていたのだが、3列ほど前のシートの上の方から雨漏りがしてきたのだ。最初は見間違いかと思っていたら、右の方へポタポタと滴が垂れ始めてきた。そうこうしているうちに、道が悪いのでバスが跳ねて左へ傾いた際、右に溜まっていた雨水が左へ流れ込み、「じょろじょろ!」と落ちてきたのだ。左端に座っていた兄ちゃんが席に置いていたカバンにバババッと掛かって、その兄ちゃんはびっくりしてカバンを移動させる(笑)。それを見て目を丸くして妻と顔を見合わせ、思わず声を上げて笑いそうになるのを堪えたりしていた。

 他にも、バスが渓谷沿いに急坂を登っているとき、運転手がギアを下げたが、うまくギアが入らずにエンストしたときは本当にびびった。ギアが入らずにガリガリと音を出してて、つまり整備もされてないっぽいのである。乗客全員心配そうに運転席を気にして覗きこむように身を乗り出し、なんとかエンジンが掛かったときには、みんなほっとしたような感じだった。あんな峠で立ち往生していたら、と思うとゾッとする。

 途中に見えた町。あいにく景色の写真は席の反対側で撮れませんでした。
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 そんなこんなでバスの3時間は終了。道が悪くて揺れっぱなしだったが、山や渓谷の景色、それにバスの中まで楽しめた。大通りに入り、随分栄えてきたなぁ、と思ったらそこはSrajevoだった。今走っているこの道こそ、かの有名な「スナイパー通り」なのだ。それを思うと、ついにやって来たんだ、と感慨深かった。

 大きなビルが見えてきたと思ったら、すでにSarajevoだった。
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 バスを降りるとSobeの客引きが凄い。Mostarでもあったし、それ以外の街でもあったのだが、Sarajevoのは特にすごかった。数少ない客を取り合うかのように、客引き同士で喧嘩しているのだ。これがSarajevoか、やはりまだまだ貧しいのだろうか、などとちょっと怖くなって足早にトラムへ向かった。トラムで宿へ向かう。宿は旧市街のすぐそばにあるので、バスターミナルからはトラムで一本で行けるのだ。

 トラムステーション。バスターミナルからすぐで、鉄道駅も目の前にある。
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 これが世界で最も有名なHoliday Inn。トラムから見える。
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つづく
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-23 23:09 | 2006 旧ユーゴ

なんかキター!!!

 随分ご無沙汰してます。
 仕事の忙しさの他、遊びほうけてすっかり更新が滞ってました。
 毎日見に来てくださる皆さん、すんません。(以上あいさつ)

 福西崇史選手 移籍加入決定のお知らせ(東京公式)

 来ました!大型補強。
 出るばっかりじゃなかったんだ!!

 前回、「出す選手でフロントの今年にかける意気込みを感じる(ような気がする)けど、これで加入が3人で終わったら許せない、というか全員取り戻せ、ってことになるな。」って書いたんですが、その後に、「もう補強は終わり」みたいな発言があったりして、「んだと、こんにゃろー」と思ってたのですが、なんだ、たぬきだなー、しょちょー。

 それにしても、あんまり好きな選手じゃなかったのに、現金なもんだなー、おれw
 単純に嬉しいです。

 今野との中盤2枚で交互に飛び出して攻撃をする姿を想像したら、、、もうよだれ出ちゃいますよ。

 真面目な話すると、一人競争相手が増えるってことで、今野にとっても梶山にとってもいいことだよねー。仲良しクラブでもないし、ポジションが保障されてるわけでもない、ってことを選手が意識するだけでだいぶ違うでしょう。

 それにしてもオフィシャルに載ってる経歴、すごいな。
 見たことないw

 数年後には代表に行ける逸材が揃っている、と言われてて伸び悩むチームに、これだけの経験を持ってる30歳のピークの人間が入ってくるんだから、うちの若者にもきっと良い影響を与えることでしょう!

 やっぱ、磐田→東京ラインってあるんだなー。
 
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-22 20:22 | FC東京

友達が転校して行く気分

昔の甘酸っぱい記憶が蘇りました。

 宮沢正史選手大分トリニータへ完全移籍決定のお知らせ(東京公式)
 戸田光洋選手清水エスパルスへ完全移籍決定のお知らせ(東京公式)


 寂しいけど、、、どっちも頑張れ。
 出てくからにはしっかりポジションとって。
 味スタに戻ってきたときは拍手で迎えたいな。

 ローン移籍の2人と合わせて4人も出て行ったよ。
 それだけ東京の選手が優秀で、オファーが来るってことだよね。全員J1だよ。
 他にもジャーンや大志もチームが見つかった。柴崎だってヴェルディに移籍できた。
 こんなに戦力が充実してたんだ、と感じずにはいられない。
 去年はなんであんなだったんだろ。

 来る選手は3人(ワンチョペ、エバウド、八田)?
 去る選手は上記プラスフミタケで8人。
 出す選手でフロントの今年にかける意気込みを感じる(ような気がする)けど、これで加入が3人で終わったら許せない、というか全員取り戻せ、ってことになるな。

 逆転ゴールを予感させるミヤザワ!、ミヤザワ!のコール、
 アグレッシブにチャンスを作り出すオートーダ、オートーダ、オートーダトーダトーダのチャントが歌えなくなるのは寂しいなぁ。

 来年帰ってきたときに1回は歌えるかな。

 味スタで会えるのを楽しみにしてるよ。
 
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-11 21:06 | FC東京

エバウド選手加入のお知らせ

エバウド選手加入のお知らせ(東京公式)


誰でしょう。
思わず「はっ!?」と声を上げてしまいましたw

そういえば、外国人ディフェンダーをとるって言われてましたね。

経歴見ると、随分移籍の多い選手だなぁ。
ワシントンみたいに帰っちゃわなきゃいいけど。。

これがグレミオのオフィシャル。
一瞬、飯田産業かと思いました。
どれがエバウドくんか探せません。全くポルトガル語がわからん(~_~;)

コメントが謎ですw
偉大な国もわからんが、偉大なチームもよく分からん。。
なにかと勘違いしてなければいいけど。。。

「偉大な国の偉大なチームでプレー出来ることになり、大変幸せに思っています。」

でも、その心意気やよし!

「与えられた時間の中で、FC東京にタイトルを導けるよう、昨シーズンのグレミオでプレーした以上のプレーで、貢献したいと思っています。よろしくお願いいたします」

こんな情報しかないけど、これで楽しめちゃう俺、笑えるw
やっぱ開幕が待ち遠しいね(焦りすぎ)
しょうがないのでウイイレやります。
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-06 16:27 | FC東京

10/21(土) Mostar(モスタル) その2

その1の続き。

 ホテルに荷物を置いて、すぐにStari Most(スタリ・モスト)(石橋)のある、旧市街区へ向かうことにした。

 日本人には馴染みのないこの土地を、なぜ旅行地にしたのかと不思議に思う人もいるだろうから、本文に入る前にMostarの説明を先にしておきたい。


 Mostar:モスタル(Wikipediaより)

 モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市。ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトバ川が流れている。1995年から町の復興が開始されたが、敵対していた民族の居住区は分離されることとなった。モスタルの象徴であった橋(石橋)は1999年から元通りに復旧させることとなり、2004年春に工事が完了した。なお、橋とその周辺は2005年にユネスコの世界遺産に登録された。

 参考:TBS「世界遺産」
 モスタル旧市街の古橋地区
 (Old Bridge Area of the Old City of Mostar)


 Mostarの旧市街区に架かる橋は、ネレトバ川の最も狭いところに架けられていた橋脚を持たない石橋で、1566年に架けられ、Mostarを象徴する橋となっていた。しかし、旧ユーゴの内戦の最中、1993年にこの橋は破壊され、上のwikiの記述の通り、2004年に再生されたものだ。橋の開架式にはイギリスのチャールズ皇太子も訪れたそうで、欧州を挙げてBIHの復興を支えようという気概が感じ取れる。


 さて、バス・ステーションからホテルの間は小さな田舎町だなぁ、という印象しかなかったのだが、旧市街区へ向かう中で、いきなり印象を改める光景が目に飛び込んできた。道中にビルの骨組みだけになっている建物が廃墟としてそびえていたのだ。最初、これを見たとき写真を撮るのは憚られたが、帰り道に観光客が割りと多いこともあり、撮ったのが下の写真。
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 また、ホテルから橋のある方角と逆へ向かうと、割と大きな交差点に出るのだが、そこにも巨大な廃墟となったビルが手付かずのまま残っていた。
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 他にも一本裏の通りには、普通の公園に明らかに不自然な形で墓石が並んでいて、公園が墓地に変わってしまったことを伺わせるところもあった。こちらは観光客が通らない普通の道路でもあり、写真はさすがに控えることにした。子供たちは普通に公園で遊んでいたが、公園の中の墓石には不自然な印象を受けた。

 デイトン合意から10年以上経った今もこのような状況が残っている。アドリア海沿岸で見た青い空、青い海、と対照的に薄曇りの天気だったせいもあり、クロアチアとBIHの差を強く意識した。


 旧市街区へ。

 ホテルから10分弱で旧市街区へ到着。途中、明らかにクロアチアと異なる景色が目に入る。モスクだ。キリスト教徒の国、クロアチアでは絶対に見ることのできない雰囲気を醸し出してるのは間違いなくモスクの存在だ。それも決して豪奢ではなく、そこに昔からある、日本で言えば街に昔からある神社のような、そんな存在に見えた。BIHはヨーロッパ人からすると、オリエンタルな雰囲気を身近に味わえる存在に違いない。
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 旧市街区では昔ながらの家々が並び、道には石畳が轢かれ、美しい。
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 奥に見えるのがStari Most(石橋)
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 石橋への途中は古い家並のみやげ物屋が並ぶ
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 これが石橋。団体旅行客が大勢いて、ものすごい混雑だ。
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 橋の袂(たもと)から
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 橋からネレトバ川を望む
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 その対岸。そこには気持ち良そうなCafeがあった。
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 対岸の袂にある、置き石。93年は内戦が始まった年。
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 上記のTBSの世界遺産でもやっていたが、この石橋では、若者がチップをもらって下の川へ飛び込む、という見世物をやっている。偶然そのタイミングに居合わせることができた。団体客が大勢いたため、恐らくそこからチップをもらっていたのだと思う。それにしても結構な高さですよ、これ。

 下を覗く
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 拍手と共に飛び込み準備
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 飛び込んだ!
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 着水。岸まで泳ぐと下で待ち受けてる人たちから盛大な拍手をもらっていた。
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 対岸も美しい石畳。こちら側はクロアチア人が住む地区で、橋を渡る前のモスクのある側はムスリム人の居住地となっていて、現在も分かれているそうだ。ここを訪れるだけでは気付かない事実もある。
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 対岸のCafeでビール
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 そのCafeから橋を望む
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 川面から橋を見上げる。
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 ネレトバ川の水は冷たかった。

 UNESCOが橋を再建し、再び世界遺産に指定したのは観光客をこの地に連れてくるためだったのかもしれない。というのも、世界遺産に指定することにより、多くの欧州人が訪れ、経済的に街が自立、復興へと向かうと考えたのではなかろうか、と感じたからだ。

 この地はクロアチア側からサラエボへ向かう途中で立ち寄るには、昔と同様にちょうど良い中継地点だ。旅行するには良い立地にある。逆に言うと、それだけの要衝の地ということだ。つまり、セルビア軍、クロアチア軍、BIH軍が、三つ巴で大変な戦いをしていたことは想像に難くない。事実、Mostarは激しい戦場だったと聞く。

 何せ、橋はこのStari Most以外にも多数架かっており、恐らくそれらも破壊されていたに違いないだろうから。Stari Mostは人が通れるだけの小さな橋にもかかわらず破壊されていたのだ。やはり尋常ではない。

 旧市街区では非番と思われる国連兵士(フランス軍兵士4人、ドイツ軍兵士1人(女性))が歩いたり、記念撮影をしたりしていた。上空には国連軍のものと思われるヘリも飛んでいて、ここBIHが実質的に国連統治下にあることを思い出させられた。
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-06 01:31 | 2006 旧ユーゴ