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『人生を<半分>降りる』 中島義道

 1997年と古い本。
4102900365人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ (新潮OH!文庫)
中島 義道
新潮社 2000-10


 某所で勧められていて、タイトルに惹かれて気軽に読んでみた。そしたら内容がぜんぜん軽くなく濃い本だったため、読むのに時間がかかってしまった。

 なぜ惹かれたのか。「人生を半分降りる」というなんとなく魅力的な響き。自分が何か今の仕事にマンネリなものを感じて何かを変えたいという気分からくるものもあり、非常に興味が惹かれた。で、実際呼んでみると、この本では「半分」隠居・隠遁するような生活を勧めている。勧めているというか、著者自身が実践しようとしている。

 序章とか、巻末の解説文は非常に共感できるところ多数。読み進めるに著者のいる学会のひどい話が続くのだが、「へー、まぁそんなもんなんだろな」という程度の理解だ。だが、さらに本を読み進めるたびに「なんだこいつ、ただのわがまま野郎じゃねーか」という感覚が濃くなっていく。そう、半分降りるというのは、自分のことだけを考えて周りのためとか、社会のためとか、空気を読むとかやめて自分の好きなことやろうということを言っているのだ。つまり、著者のやりたいことの中には「社会のためになること」というのは出てこない。一切出てこないし、社会的な何某かに思いを馳せるようなことは全力で否定している。例えば将来の地球温暖化とか気にするような人間は間違っていると説く。自分の人生が死に向かって着実に近づいているのにそんな未来のことを気にしたって仕方がないし、自分の短い人生は自分のやりたいこと(自分は何なのか、何のために生きてるのかという哲学すること)だけをやっていたい、ということを言っている。だんだん読んでて呆れてくるレベル。

 この本を「イイ!」というのもわからんではない。自分に正直に世の中のしがらみをすべて断ち切るような、言ってみればロックな人生というか。ワガママに生きる。サラリーマンのゴマすりなんて最低だと思うし、よくわかる。でもねぇ。そこまで世の中って捨てたもんじゃないと思うんだけど、というか世の中楽しいよね。わからん、ここまで偏屈な人と会ったことないし、こんな偏屈な人はそうそう人前に出てこないだろうから。


 でもいろいろ面白いことは面白い。そういう本だ。以下メモ。

p120 書物を調べるだけの学者はしまいには「考えること」を忘れてしまう
ネットバカの話を思い出した。この本はネットが普及する以前のものだが、まさに今はそうだ。
 この言葉はニーチェが言ったものらしい。


p243 『漱石全集』11巻 「私の個人主義」447頁
 こだわりがあるのなら一度は徹底的に進みなさい。
 一生「俺の進む道が見つからない」かもしれないが、こだわりに突き進んでいくこと自体に意味がある。


p283 あとがき
 飛行機に乗り「グレゴリオ聖歌」を聴きながら、このまま墜落すれば良いのにと思った。
 →「降りる」とはそういう気分なんだろう。


p285 中野翠の解説
 ペーター・ハントケの詩「わらべうた」にものすごく共感したので引用

 子供は子供だった頃
 いつも不思議だった
 なぜ 僕は僕で 君でない?
 なぜ 僕はここにいて そこにいない?
 時の始まりは いつ?
 宇宙の果ては どこ?
 この世で生きるのは ただの夢?
 見るもの 聞くもの 嗅ぐものは
 この世の前の世の幻?
 悪があるって ほんと?
 悪い人がいるって ほんと?
 いったい どんなだった
 僕が僕になる前には?
 僕が僕でなくなった後
 いったい僕は 何になる?
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by vamos_tokyo11 | 2012-08-01 01:24 |