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『カムイ伝』 白土三平

たまたま図書館で見つけて読み倒してしまった。

カムイ伝全集―決定版 (第1部1) (ビッグコミックススペシャル)
カムイ伝全集―決定版 (第1部1) (ビッグコミックススペシャル)白土 三平

小学館 2005-09-30
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 すごいボリューム。
 そして物凄く深い。

 この本に興味を持ったきっかけは、会社で被差別部落に関するちょっとした研修のようなものがあり、その中で先輩から「カムイ伝に出てくるような~」という話があり、漫画でそんなこと描いているがあるんだと、知ったのが発端である。ただ、過去の漫画である『カムイ伝』を読むシチュエーションにはなかなかならないわけで、それからしばらく時間が経っていた。そんななか、ある日、たまたま図書館で娘に引っ張られていった場所に『カムイ伝』がズラッと並んでいたので手に取って読み始めたという次第。

 著者白土三平の背景としては父がプロレタリア画家の岡本唐貴ということで(この人のことは知らないが)、幼いときから共産主義的な背景を持っているのだろう。漫画自体は江戸時代の話なのだが、封建制を厳しく批判する姿勢で描写されている。農民と非人の差別の構図やそれを利用する武士階級、武士が自分自身の階級に疑問を持ち行動する話、これらが季節ごとのイベント(作付け、収穫、年貢等々)と絡まって表現されている。とくに共産主義的な感じを強く抱かせるのは農民への畏敬の表現と農民の強さで、農こそが最も尊く感じられるように描かれているところが印象的だ。時代的に毛沢東を感じさせる。

 『カムイ伝(第1部)』は本当にすぐれた小説だと思ったが、第2部に入り主題がぼけるというかもう少し叙事詩的な感じになっていく。また第2部ではお色気シーンというか第1部になかったような青年誌的な描写があり、連載誌の商業的な部分を感じる。

 まだ続編である『カムイ外伝』を読んでいないのでぜひ読んでみたい。けれども長いんだな、これが。第2部が第1部よりかなり下がっていたので(というか第1部が凄いのだと思う)、少し外伝にいきそびれている。

4091879020決定版カムイ伝全集 カムイ伝 第二部 全12巻セット
白土 三平
小学館 2007-04-01


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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:43 |

『「美しい顔」とはどんな顔か』 牟田淳

4759813551「美しい顔」とはどんな顔か: 自然物から人工物まで、美しい形を科学する (DOJIN選書)
牟田 淳
化学同人 2013-10-10




 かねてから、どうして人の顔には美人と不美人があるのだろうか、目がふたつ、鼻がひとつ、口がひとつ、で基本的なパーツの数は同じなので、なんで美人に見える人とそうじゃないように見える人がいるのか、なんで自分は(人間は)そう感じるんだろうか、と不思議でならなかった(今でも不思議だ)。自分が美人のほうが好きなのもなんでかわからないし、例えばあの子は歯が出てるから好みじゃないな、と思ったとしても、それがなぜそう思うのかは説明がつかない。とにかく何をもって美人と認識しているのかが疑問だった。だからこの本のタイトルを新聞の書評で見たときには「これだ!」と思った。

 でもこの本で教えてくれるのは私の疑問の極一部だけだった。それでもこの本は面白い。まず最初に「美しい」と「beautiful」の違いから入る。この辺り、「美しい」ことに対する検証として非常に真摯だ。そして一般的に有名な黄金比率に関する調査を示す。そして人気女性芸能人を例にとって「かわいい」と「美しい」の境目や違いを十分なボリュームのアンケートから分析する(先の統計学の本を思い出す)。しかーし、私が知りたいのはそんな違いではなく、美しいってそもそもなんぞや、なのでこの辺りからイマイチ感が出まくる。

 しかし、ここに続く連続模様、シンメトリー、フラクタル次元、流線型や橋の機能美についての解説は、本のタイトルからは外れるが(サブタイトルどおりなのだが)なかなか面白かった。特にシンメトリーの説明で日本にある家紋やてぬぐいにある様な模様を基に説明しているのが良かった。わかりやすいというか新鮮だった。

 でもま、結局私の疑問にはあまり明確な答えは出なかったのだが、シンメトリーってのはひとつあるのかもしれない。うーん。

(12月読了)
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:18 |

『統計学が最強の学問である』 西内啓

4478022216統計学が最強の学問である
西内 啓
ダイヤモンド社 2013-01-25



 面白いんだけど途中から難しいというかまじめな統計の本になっていってついていけなかった。最近ずーっと仕事が忙しくて難しいものが頭に入ってこない。それに、難しいことを根気よく読み続けることが今の自分には無理なのだ(笑)。

 売れてる(売れてた)本だけあった各小見出しを含めてタイトルのつけ方がうまい。ブログの面白い記事というか人気のある記事みたいなつけ方だ。中身も統計学そのものの話に入るまではまぁまぁ面白いが、その難しい話以外のところは基本的に知っていることが多かったのであんまり読む必要がなかった。

 統計学を勉強しようとしている人や、勉強している学生なんかにはいいのかもしれない。

(12月読了)
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:14 |

『土壌汚染 フクシマの放射性物質のゆくえ』 中西友子

 非常に優れた知見を与えてくれる本。

4140912081土壌汚染―フクシマの放射性物質のゆくえ (NHKブックス No.1208)
中西 友子
NHK出版 2013-09-25



 こういう本がもっと注目されるべきだと思うのだが、2011年のあの頃に比べると皆興味がなくなってきているように見える。

 僕が毎日乗る大江戸線には、都営だからだろうが、福島県をサポートするような広告がたくさん掲示されている。その中には農産物のフェアもある。それを眺めながら「桃かぁ。福島の特産品だよな。でも大丈夫なのかな」といったような疑問が浮かぶのだ。でもこの本を読めばリスクの程度が如何に低くなっているかがわかる。

 自分がとり得るリスクというのがあると思う。自分で判断する基準。人は分からないことに不安を抱くわけで、この本ではそれを素人にも分かりやすく書いてくれている。しかも客観的に(つまり数値で)。安全とも危険とも書くようなことはしていない。基準に対してどうだ、ということを数字で表す。そこがこの本に信頼をおけることのひとつの理由だろう。

 あれから2年経って、これまで学者の先生たちが継続的に調べてきたことを明確に数字の裏づけを持って、現在の状況を教えてくれている。放射性物質(核種)は土に降下すると、それが土壌に固定され、雨にも流れにくいらしい。だからそこから植物に吸い上がる核種は極めて少なくなる。また、動物でも飼料や土から取り込まれた核種は代謝とともに多くが出て行っている。それを数字で示している。こういう情報を得られると、今後どのように進んでいくのかがわかる。農業は福島でもやっていけることが分かる。

 キノコが1960年代のセシウムを未だに蓄積しているのが驚きだった。世界中で核実験が繰り返されていた1960年台のセシウムの降下の多さにも驚いた。

 良書。

(12月読了)
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:13 |

『キャパの十字架』 沢木耕太郎

 事実を、しかも70年も前の写真の真実を突き詰めていくドキュメンタリー。まさに「事実は小説より奇なり」。凄い本だった。

4163760709キャパの十字架
沢木 耕太郎
文藝春秋 2013-02-17



 1937年に撮られたキャパの「崩れ落ちる兵士」というタイトルをつけられた写真。フォト・ジャーナリズムの世界では最も有名といえるもの。これが果たし本当に銃弾に倒れたものなのか、さらには本当にキャパによる撮影によるものなのか、それを写真に対する分析と事実の積み重ねで証明していく。

 しかもただ事実を積み重ねて分析するだけではないのがさすが沢木耕太郎。まるでドキュメンタリー番組を見ているかのような面白さで話は進む。真実を発見するまでの過程、沢木氏のキャパに対する思い、キャパの本を翻訳するころからの関わりなどを交えながら話が進んでいく。スペインのバスク地方でススペラギ教授に聞く撮影場所と思われたコルドバの丘、コルドバを数度訪ね現地での調査、フランスで図書館を巡り写真が載っていた当時の雑誌「ライフ」「ヴュ」の原本を探す話、ニューヨークで美術館やICPで見た写真・得た写真から新事実を発見していく過程。そして最後はキャパがこの写真を発表した後、真にキャパになっていく過程と、この写真を超えていこうとするキャパの生き様、そして最後の2枚の写真と沢木氏が書く文章が残す余韻。それは小説ではなく真実だからこそ紡ぎだせる重さだった。

 「あとがき」まで含めてひとつの作品として美しい物語だった。


以下メモ

NHKスペシャル
http://www.dailymotion.com/video/xxcgip_yyyyy-yyyyy-yyyy-yyyyyyy_creation#.UW9_s8o4yzE

この本で興味を持ったので
『ロバートキャパ写真集 Photographs』 訳・解説 沢木耕太郎 を読んでみた。
4163803009フォトグラフス―ロバート・キャパ写真集
ロバート キャパ 沢木 耕太郎
文藝春秋 1988-06


1988年の本。いろいろな発見があった。
写真をひととおり眺めた後、沢木耕太郎の解説を読むと書いてあった「彼は本質的には写真家ではなくジャーナリストであったのだ」という言葉にとても共感できた。
写真を見ると大戦へ向かう社会、大戦中、そして戦後と、その時代の空気を感じることができる。

そしてその解説に書かれているのが、「崩れ落ちる兵士」に対する真贋論争。
そのなかで沢木は「彼はまたそれによって大きな十字架を背負うことになった」という言葉を書いている。そう、彼は25年以上前からずーっとこの件が心に引っかかっており、ついに彼なりに結論を導き出したのだ。これに気付いてから『キャパの十字架』の凄みを一層感じることになった。

『キャパの十字架』を読んでしばらくして、司馬遼太郎賞受賞の記事が新聞に小さく載っていた。
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:09 |

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』 池上彰

4166608142池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)
池上 彰
文藝春秋 2011-07



 宗教の入門として幅広く扱っていて分かりやすかった。第1章では総論として宗教というフィルターを通して現代社会を眺める(割と紙幅を使っている)。第2章では島田裕巳との対談「ほんとうに『葬式はいらない』のですか?」。第3章以降は仏教(浄土真宗、臨済宗)、キリスト教、神道、イスラム教、最後に養老孟司との対談で宗教そのもののや日本的な宗教観が語られていて興味深かった(「『いい死に方』ってなんですか?」)。

 正直、各宗教の説明や現在の各宗派の問題点はあまり面白くないというか、どうでもいいというか、そんな感じ。それでも神道の話は結構面白かった。そもそも神道ってなんだろうと思っていたのだが、やっぱりそうかという感じで、ちっとも宗教ぽくないのだ。単に日本的な文化にお作法というかルールを設けただけのような感じで、非常にゆるゆるな感じが想像通りだった。

 そういう中でもへぇーっと思わせてくれたのをいくつか。

p81 「家の宗教」化する創価学会
 戦後、過激なやり方で折伏(しゃくぶく)してきたが、今は親から受け継いだ2世3世で完全に家の宗教となっているとのこと。新しく折伏される人はほとんどいない。勧誘されるのは赤ん坊で、もはやキリスト教の洗礼と同じ。だから人間関係のネットワークは緊密だが、外へ広がっていかない。選挙のときだけは活動するけれど、隣人を折伏するというのはないらしい。
 →実態は不明

p84 真如苑
 日産の武蔵村山工場の跡地を買ったり
 →真如苑というのを知らなかったが、派手なようだ。

p88 江戸時代に信仰形態が戻っている
 戦後の貧困や病気の頃には宗教に解決を求めていたが、現代は宗教に期待する人があまりいない。そうなるとパワースポット的なものに人気があつまる。
 日本は超成熟社会だからこの状況が二百、三百年くらい続くと思う。失われた二十年って実は超成熟期の始まりですよ。
 →面白い考え方だけどにわかには賛同しかねるなぁ。

p187 キリスト教の本質
 キリスト教のメッセージは「愛」だと言われるが、イエスの言う愛とは「悲しみを知ること」に限りなく近いのではないか。(山形孝夫)

P241~ 養老孟司対談が面白い
・(日本人の)無宗教の「無」は仏教の「無」(諸行無常の無)
・日本にきて一番良かったことのひとつは宗教からの自由だ(CWニコル)~日本は宗教に寛容
・団塊の世代の「葬式が要らない」は「大学の権威を解体する」と同じ。彼らは理屈で説明がつかないことはなんでも嫌いなんです。考え方そのものが「意識中心主義」。脳のことを調べればわかるけれど、意識なんて人間のほんの一部ですから、こんなあてにならないものはない。その程度のものが世界の中心を占めるというのは、やっぱり一種の偏見、錯覚。自然は人間の意識ではコントロールできない。死も自然現象のひとつだからコントロールできるはずがない。
・日常生活に死は”あってはならないもの”になっている。でもそれは異常。
・一神教は都市の宗教。自然から切り離され、人間しかいない人工世界ですから、死生観だって人間中心になる。日本は世界から見れば「田舎」に属していて、一神教が布教しなかった。私はそっちの考え方の方が、おおらかで好きですけれど。
・「唯一客観的な現実」が存在するという信仰。NHKが自称する「客観報道」なんて、完全な宗教。「環境を守ることが絶対の正義だ」とかいうのも、一種の原理主義。
・自分の目や耳で確認したことを信じる、というなら健全。でも既存メディアの情報は嘘で、ネットの情報は真実、という二分法なら、同じ穴のムジナ。
・一神教的な「一生涯を通じて変わらない私」があって、その行いを裁く「最後の審判」があるといった考え方は、われわれ日本人にはちょっと馴染まないんじゃないでしょうか
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 02:02 |

『不恰好経営』 南場智子

 いい!

4532318955不格好経営―チームDeNAの挑戦
南場 智子
日本経済新聞出版社 2013-06-11



 読後感が不思議だ。内容はドロドロとした起業家の苦労の日々(ご本人は苦労だなどと思っていない様な書き方だが)についての話だが、読んだ後にさわやかで前向きな気持ちになった。著者が起業するきっかけとなったエピソードから、ご主人の看病に軸足を移して社長を退任する話などを経て現在までのDeNA社と著者の半生が描かれている。『ザッポス伝説』や『フェイスブック 若き天才の野望』もそうだったが、やはりこういう起業にまつわる信じられないような働きから生まれる物語は面白い。

 とはいえ、この本に清々しさを感じるのは私がDeNAという会社をほとんど知らないからかもしれない。モバゲーの話であったり、ゲームだと思ったらSNSであったり、それが子供を巻き込む社会問題になったり、プロ野球球団を買収したり、S&B食品の陸上部を買ったり、いろいろと話題を提供している。会社のことを知らないのでなんだか節操のない行き当たりばったりの企業に見える。まぁ、本を読んでもイマイチ会社の理念はわからない。会社が目指したいことはGoogleを超えるインパクトだということが書かれていて、それはわかるのだが、世の中変えたいというのが、それが善行なのかどうなのかはわからないのだけれども。

 ただ、著者が正直に書いているように、経営するというのはそういう面もあるのだろう。コンサルタントとしてSo-netに勧めていたオークションサイトを自分でやることになり、それを黒字化するためにもがていくなかで、可能性を感じるものにどんどんチャレンジしていくという形。そういうわけで何も知らない自分からは変な会社に見えてしまった。でも読後に不思議と元気が出る。そんな本。
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 01:56 |

『稲盛和夫最後の闘い』 大西康之

 いまいち。

453231898X稲盛和夫 最後の闘い―JAL再生にかけた経営者人生
大西 康之
日本経済新聞出版社 2013-07-13



 稲盛本を読んだことがない人にはそれなりなのだろうが、テレビや新聞・その他の本で稲盛氏の話をいろいろと読んでいる身にとっては中身が薄い、薄すぎると感じる内容だった。副題に「JAL再生にかけた経営者人生」と付いているのだが、そのJAL再生をどのように実現したのか、まさに一番期待したところの内容が薄い。書かれていることに具体例が少ないというか、ひとつひとつの事実を細かく積み上げていくような事例がなく、ざっくりと書かれているので、破綻からこれほど鮮やかに立ち直った理由の詳細があまり見えてこない。

 この本は日経新聞関連の出版社が出しているのだが(著者も元記者)、まさに新聞の特集を寄せ集めて並び替えたような内容だ。さらにがっかりなのが『挑戦者』の題材である第二電電の立ち上げの要約に15ページも使ったり、どっかで見たような話が多い。使いまわしかよ!

 ただ、私が期待していたような内容は、実は稲盛氏にフォーカスを当てることよりも、この本でも重要な紹介をされている森田直行氏が主人公になっていれば、なぜJALが復活できたか、という疑問にストレートに答えてくれるような気がする。

 稲盛氏についての全く知らない人が初めて読むには良い本だろう。でもそんな人がこの本を手に取るとは思えない、というのが率直な感想。


以下引用。

p200
植木社長の言葉
「稲盛さんの経営はマジックでも何でもない。本気で会社を自分の子どもだと思っている。愛情の深さが違う。我が子のためと思うから、万全の自信を持ってモノが言える。サラリーマン経営者では、なかなかああは言えません。この3年間で命を縮められたかもしれないが、まさに起業家の生き様を見せていただいた」

p213
稲盛のものづくり哲学
 こうすればうまくいくというイメージをチームで共有しなければ仕事はうまくいかない
「天然色のイメージが浮かぶまで考え抜かなければ開発は成就しない」
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 01:50 |

『誰も戦争を教えてくれなかった』 古市憲寿

 こちらは戦争について考えてみる本。世代は私より一回りくらい下だが、気にしている点は同じだ。結論は違うけど。

4062184575誰も戦争を教えてくれなかった
古市 憲寿
講談社 2013-08-07



 この本では僕のように戦争の体験談を身内の人から教えてもらっていないような立ち位置の著者(社会学者)が、世界中の戦争博物館を巡っていろいろ考えるお話。雑誌に連載してたものをまとめたもので、モモクロとの対談があったり、巻末には「戦争博物館ミシュラン」と称して世界中の戦争博物館のランク付けをしている。面白い。「誰も教えてくれなかった」については「誰も教えることができなかった」ということ。そう、実体験してる人もほとんどいない、さらにはあの戦争がどういう意味を持っていたのか誰にもわからないから教えようがなかったのだ、というのがタイトルへの答えになる。

 書き口は非常に軽い。人のブログかFacebookを読んでいるような感じで、さらに脚注がたまにふざけてて、最初はなんだかなぁという感じもする。脚注に「台湾にショウロンポウ食べに行きたい。誰か行かない」とあったりして、全部読む派の自分にはイラっとすることもあった。が、それも序章だけで、本編が始まると基本的には膨大な参考資料や引用元が脚注に書かれていて、これはこれで非常に親切なつくりになっている。気になる本多数。

 この本で面白いのは、アメリカ、ドイツ、中国、韓国、そして日本の戦争博物館から、その国がどのようなスタンスで過去・現在の戦争や過去の事実と向き合っているかということを読み解く作業だ。勝利を前面に出し、今も戦争がすぐ近くにあるアメリカ、ホロコーストと向き合い続けるドイツ、日本の残虐行為を明らかにしつつ、それを寛容的に許している姿勢を見せ立派な共産党をアピールする中国、戦いの歴史を展示し、今も戦争の状態にあり、兵士のおかげで今があり、徴兵制もある韓国。それぞれのスタンスが透ける。そして、国としての態度があいまいなまま、明確な主張ができずにいる博物館が各地にある日本。この分析が非常に面白かった。

 博物館から国の姿勢をあぶりだす、つまり著者の言う「大きな記憶」。これとは別に、民間で勝手連的にそれぞれが事実を展示し、主張するミニ博物館も日本にはいくつかあるということも書かれている。これを「小さな記憶」と書いている。他にも博物館のありかたに対する苦言も面白い。日本の博物館はこんなもんでは楽しくないし、来たいと思わないだろうという。ドイツでは本物を残すことでリアリティを感じてもらう展示方法、中国や韓国では最先端技術を駆使して、戦場での戦闘や敵兵への攻撃を「体感」できるエンタメ的方法などと比べると、日本の展示は生ぬるく感じてしまうらしい。


 結論の前段はおもしろい。

 p269
 東京裁判、歴代首相の「お詫び」、(中略)対外的な物語はおおよそ確定している。日本は侵略戦争をして、アジア諸国に多大な迷惑を掛けたという「大きな記憶だ」。
 しかし、それは一定程度は国民的な「大きな記憶」になっているが、それに反するような言動や行動を、公人である政治家たちさえもしばしば自ら行う。
 これこそが、日本の国立歴史民族博物館で戦争を描けない理由だ。いったい、どっちなのって話である。
 そして「大きな記憶」が確定していないから、歴史認識をめぐる事件が延々と生まれ続ける。2013年春に起きた大阪の橋下徹市長の「慰安婦は必要だった」発言は、まさにその象徴だろう。この橋下騒動は、強制力なしに、人々の発言や行動を一つの歴史に確定させるのが、いかに難しいかをあらためて確認させることにもなった。


 完全に同意だ。ドイツですら国が教育を進めていて、コストも掛けているにもかかわらず、ネオナチが出てくる。中国や韓国でも「反日」という「大きな記憶」の構築を企ててきたが、これだけ文化交流が進む中で、素朴な反日感情を抱くほうが逆に至難の業だとしている。これもわかる。

 さらに、あの戦争は空前絶後の一度きりの出来事で、同種の戦争を日本は経験していないから、あの戦争をいかに記憶するかということに正解はない、としている。まぁ、そうかもしれないが、これはついてはちょっと乱暴かと思う。記憶はうつろいやすく定まらないものというのはその通りだと思う。だからこそ、常に時代に沿って記憶について自分たちで考えておく必要があるのではないだろうか。自分なりの「大きな記憶」、つまりあの時代への解釈を持つことをやめてしまうのは違うのでないかと思う。ここのところ自分の読む本が戦争関連に向かっているのはそういう問題意識なのかもしれない。著者が最終的に「いっそ戦争なんて知らないほうがいい」というのは間違っていると思う。

 不思議なのは著者は自分でとことん調べて・聴いて・見て・読んで、知識を蓄えてきているにも関わらず、そういう結論に到達していくことだ。モモクロが戦争に対する小学生・中学生レベルの問いに全然答えられないことを肯定しているのは、やはりなんか違うと感じる。この人、将来子どもができても「戦争のことなんか知らなくていいよ」と言うのだろうか。僕にはデール・マハリッジが訴えるものの方がズドンときた。


以下は脚注から気になった本など。
いかん、また戦争関連本だらけだ・・・。
よくよく考えたら自分の気になっていたところにこの本がぴったりハマってるんだな。

p43 一ノ瀬俊也『旅順と南京日中五十年戦争の期限』
p77 姜尚中、森達也『戦争の世紀を超えて その場所で語られる戦争の記憶がある』
   アウシュビッツを訪れるのは「(決して認めたくない領域ではあるけれど)微かにうきうき」
   → 怖いもの見たさ、お化け屋敷的なものは否定できない。
p82 イタリアは戦勝国? →これは知らなかったし驚いた。
 イタリアは連合国に対しては確かに「敗戦国」と言えるのだが、1943年10月にはドイツに宣戦布告、1945年7月には日本に対しても宣戦布告を行っている。
 日本とは実際には交戦しておらず、サンフランシスコ講和条約にも参加していないが、日本政府とは個別に協議を行っている。つまり、対ドイツ、対日本においてイタリアは「戦勝国」とも言えるのだ。

脚注
 第二次世界大戦では、フィンランドやハンガリーなど合わせて5カ国が連合軍に対して講和条約を結んでいる。連合軍に対する戦争という意味ではフィンランド、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーも「敗戦国」と言える。

p103 西澤泰彦『植民地建築紀行 満州・朝鮮・台湾を歩く』『日本の植民地建築 帝国に築かれたネットワーク』
p182 小熊英二『<日本人>の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』
p187 301 クリントンスピーチ 「The Ryukyu-Okinawa History and Culture Website」ややこしいことは普遍化させてしまうのが一番
http://www.niraikanai.wwma.net/pages/archive/itoman.html
p211 348 上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』
p226 パオロ・マッツァーリ『怒る!日本文化論 よその子供とよその大人の叱り方』
p249 石川明人『戦争は人間的な営みである 戦争文化試論』
p250 萱野稔人『カネと暴力の系譜学』 国家は暴力団と同じ仕組みで人々の安全を保障する。そうそう。
p254 P・W・シンガー(小林由香利訳)『ロボット兵士の戦争』
p257 土屋大洋『サイバー・テロ 日米VS.中国』


巻末の戦争博物館ミシュランの中で行ってみたいと思ったところ。

・アウシュビッツ博物館(ポーランド)
・ザクセンハウゼン記念館・博物館(ドイツ)
・アリゾナ・メモリアル(ハワイ)
・戦艦ミズーリ記念館(ハワイ)
・遊就館(九段下)
・東京大空襲・戦災資料センター(江東区北砂)
・記念艦「三笠」(横須賀中央駅)
・舞鶴引揚記念艦(舞鶴)
・広島平和記念資料館・原爆ドーム(広島)  小学生以来行っていないのでまた行きたい
・呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)(呉)
・知覧特攻平和会館(鹿児島)
・沖縄平和記念資料館
・ひめゆり平和記念資料館
・旧海軍司令部壕(沖縄)
・ヨーロッパ・ユダヤ人犠牲者記念館(フランデンブルグ門近く)
・ベルリン・ユダヤ博物館
・侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館(南京)
・シロソ砦(シンガポール)
・戦争記念館(ソウル)
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 01:46 |

『日本兵を殺した父』 デール・マハリッジ


4562049251日本兵を殺した父: ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち
デール マハリッジ Dale Maharidge
原書房 2013-06-24




 今年は戦争関連の本ばかり読んでいる。今回のは小説ではない。沖縄戦に従軍した父を持つ息子(=ピュリッツアー賞ジャーナリスト)が、父の死をきっかけに当時の軍の同僚たちにその戦争がどんなものであったかを教えてもらうという内容だ。PTSDの症状が出て、家でも突如として暴力的になる父を持つという家庭で苦しみながら育った著者が、父が語ってくれた戦争の情報を基に、どのような戦場で、死んでいった父の同僚マリガンがどのような亡くなったのかを明らかにしていく。最後には沖縄を訪れ、当時の沖縄を知る人たちとの出会いもある。

 これまで読んできた戦争関連の本は、小説や、実際の経験者であっても軍人ではなく被害者としての一市民からの話であった。この本は兵隊であった人々の声を載せていて、さらにはそれが米軍側の人々の話である。直接戦場で銃弾を潜り抜けて来た人たちの話は重い。祖父に従軍したときのことを聞けなかった自分としては、学ぶことが多い本だった。

 戦後68年経ち、当時従軍していた人たちに語ってもらうためには、もう本当にギリギリである。既に遅い部分もある。この本の凄い点はいろいろあるのだが、2010年、2011年にインタビューした人たちのうち、既に他界してしまった人が複数いることだ。まさに著者が父の戦場を理解するためには、ギリギリのタイミングであったことがうかがえる。インタビューは著者の父が所属していたL中隊(ラブ中隊)の同僚たちに行われている。

 この本では戦争にならざるを得なかったマクロ的な視点が語られているわけではない。現場で起こっていたこと、戦争の悲惨さ(と書いてしまうと安っぽくなる)が、それを経験した人たちから語られている。そして12名の元海兵隊員からの話で戦場とはどういうところかということが伝わってくる。

 第一部で著者の父がどのように戦後を過ごし、著者自身がどのような家庭で育ってきたかが語られる。戦争が何十年も暗い影を落とすことがよく分かる。第二部ではL中隊が戦ったグアムと沖縄の位置づけについて説明がある。第三部では12名の元兵士たちにインタビューが行われている。それぞれの戦争への思い、日本人への思いが語られており、興味深い。未だに日本人を見ると気分が悪くなる人もいれば、日本人・日本に対してなんのわだかまりもなく、彼らも被害者だったと言える人もいる。クルマもずっとスバルだという人もいる。第四部では沖縄を訪れ、日本で拾った父の遺品を持ち主の家族に返したり、マリガンが亡くなった激戦地、シュガーヒルを訪れたりしている。そして現地で戦争の記憶を持つ人々と色々なゆかりの地を訪れる。少年兵として従軍させられ戦場で親友をなくした山田義邦さんの話は壮絶だ。最後にマリガンが亡くなった地で沖縄式の墓参りをする際の、山口順一さんとの邂逅は美しい。この本の終わり方としてもっともふさわしく、著者がこの調査を終わりにするには最高の出会いだったと思われる。

NHKスペシャル(放送された記憶はあったが見ていなかった)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2011/0619/

動画:あってよかった!
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by vamos_tokyo11 | 2014-01-19 01:36 |