10/21(土) Mostar(モスタル) その2

その1の続き。

 ホテルに荷物を置いて、すぐにStari Most(スタリ・モスト)(石橋)のある、旧市街区へ向かうことにした。

 日本人には馴染みのないこの土地を、なぜ旅行地にしたのかと不思議に思う人もいるだろうから、本文に入る前にMostarの説明を先にしておきたい。


 Mostar:モスタル(Wikipediaより)

 モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市。ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトバ川が流れている。1995年から町の復興が開始されたが、敵対していた民族の居住区は分離されることとなった。モスタルの象徴であった橋(石橋)は1999年から元通りに復旧させることとなり、2004年春に工事が完了した。なお、橋とその周辺は2005年にユネスコの世界遺産に登録された。

 参考:TBS「世界遺産」
 モスタル旧市街の古橋地区
 (Old Bridge Area of the Old City of Mostar)


 Mostarの旧市街区に架かる橋は、ネレトバ川の最も狭いところに架けられていた橋脚を持たない石橋で、1566年に架けられ、Mostarを象徴する橋となっていた。しかし、旧ユーゴの内戦の最中、1993年にこの橋は破壊され、上のwikiの記述の通り、2004年に再生されたものだ。橋の開架式にはイギリスのチャールズ皇太子も訪れたそうで、欧州を挙げてBIHの復興を支えようという気概が感じ取れる。


 さて、バス・ステーションからホテルの間は小さな田舎町だなぁ、という印象しかなかったのだが、旧市街区へ向かう中で、いきなり印象を改める光景が目に飛び込んできた。道中にビルの骨組みだけになっている建物が廃墟としてそびえていたのだ。最初、これを見たとき写真を撮るのは憚られたが、帰り道に観光客が割りと多いこともあり、撮ったのが下の写真。
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 また、ホテルから橋のある方角と逆へ向かうと、割と大きな交差点に出るのだが、そこにも巨大な廃墟となったビルが手付かずのまま残っていた。
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 他にも一本裏の通りには、普通の公園に明らかに不自然な形で墓石が並んでいて、公園が墓地に変わってしまったことを伺わせるところもあった。こちらは観光客が通らない普通の道路でもあり、写真はさすがに控えることにした。子供たちは普通に公園で遊んでいたが、公園の中の墓石には不自然な印象を受けた。

 デイトン合意から10年以上経った今もこのような状況が残っている。アドリア海沿岸で見た青い空、青い海、と対照的に薄曇りの天気だったせいもあり、クロアチアとBIHの差を強く意識した。


 旧市街区へ。

 ホテルから10分弱で旧市街区へ到着。途中、明らかにクロアチアと異なる景色が目に入る。モスクだ。キリスト教徒の国、クロアチアでは絶対に見ることのできない雰囲気を醸し出してるのは間違いなくモスクの存在だ。それも決して豪奢ではなく、そこに昔からある、日本で言えば街に昔からある神社のような、そんな存在に見えた。BIHはヨーロッパ人からすると、オリエンタルな雰囲気を身近に味わえる存在に違いない。
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 旧市街区では昔ながらの家々が並び、道には石畳が轢かれ、美しい。
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 奥に見えるのがStari Most(石橋)
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 石橋への途中は古い家並のみやげ物屋が並ぶ
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 これが石橋。団体旅行客が大勢いて、ものすごい混雑だ。
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 橋の袂(たもと)から
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 橋からネレトバ川を望む
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 その対岸。そこには気持ち良そうなCafeがあった。
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 対岸の袂にある、置き石。93年は内戦が始まった年。
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 上記のTBSの世界遺産でもやっていたが、この石橋では、若者がチップをもらって下の川へ飛び込む、という見世物をやっている。偶然そのタイミングに居合わせることができた。団体客が大勢いたため、恐らくそこからチップをもらっていたのだと思う。それにしても結構な高さですよ、これ。

 下を覗く
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 拍手と共に飛び込み準備
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 飛び込んだ!
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 着水。岸まで泳ぐと下で待ち受けてる人たちから盛大な拍手をもらっていた。
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 対岸も美しい石畳。こちら側はクロアチア人が住む地区で、橋を渡る前のモスクのある側はムスリム人の居住地となっていて、現在も分かれているそうだ。ここを訪れるだけでは気付かない事実もある。
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 対岸のCafeでビール
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 そのCafeから橋を望む
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 川面から橋を見上げる。
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 ネレトバ川の水は冷たかった。

 UNESCOが橋を再建し、再び世界遺産に指定したのは観光客をこの地に連れてくるためだったのかもしれない。というのも、世界遺産に指定することにより、多くの欧州人が訪れ、経済的に街が自立、復興へと向かうと考えたのではなかろうか、と感じたからだ。

 この地はクロアチア側からサラエボへ向かう途中で立ち寄るには、昔と同様にちょうど良い中継地点だ。旅行するには良い立地にある。逆に言うと、それだけの要衝の地ということだ。つまり、セルビア軍、クロアチア軍、BIH軍が、三つ巴で大変な戦いをしていたことは想像に難くない。事実、Mostarは激しい戦場だったと聞く。

 何せ、橋はこのStari Most以外にも多数架かっており、恐らくそれらも破壊されていたに違いないだろうから。Stari Mostは人が通れるだけの小さな橋にもかかわらず破壊されていたのだ。やはり尋常ではない。

 旧市街区では非番と思われる国連兵士(フランス軍兵士4人、ドイツ軍兵士1人(女性))が歩いたり、記念撮影をしたりしていた。上空には国連軍のものと思われるヘリも飛んでいて、ここBIHが実質的に国連統治下にあることを思い出させられた。
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by vamos_tokyo11 | 2007-01-06 01:31 | 2006 旧ユーゴ


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